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というわけで、まあこれを指してくたくたというであろうことは間違いないであろう状態。ここ2週間ほど定常化しているグータラ主婦サイクル(6時半起床、9時頃ソファで昼寝してタモリに再び起き、2時くらいにベッドで寝る)に則ってソファで寝ていたら、家の前を通過するわっしょいわっしょいの声で飛び起きる。寝過ごしちゃった? ああ、子供御輿だった。ふー。シャワーを浴びてヒゲを整えて、いざ出陣。下から地下足袋、猿股、晴れて暑かったから素肌に法被。樽酒を振る舞われて勢いづけて、御輿のほうに歩いていくと、うわー、セミプロ(御輿の)さんがいっぱいだ。
ア、ヨウーヨウーヨウーヨウー、という年長陣によるカウントによって、ソーレィ/ソーレィ、ないしはソイヤ/ソイヤのコールアンドレスポンスが発生する。何らかの障害によってかけ声が小さくなったり、もしくはズレ始めたりすると、再びカウントが取られ、オンタイムに是正される。途中、幾度となく声がかかって歩みが止まり、その場で御輿を暴れさせて鈴を鳴らす。これが肩にぶつかって痛いことこの上ない。でも、この立ち止まった店の旦那さんが夏に亡くなったことを、僕は知っている。御輿の屋根に付けられたちょっと頼りない鳳凰が揺れるのを、青空に仰ぎ見る。荒縄で井形に組まれたかつぎ棒が、耳元でギシギシ大きく鳴く。
途中2回の休憩を挟みながら、そしてリザーブの人々を従えながら(疲れたら脱落すれば、すぐに誰かが入ってくれる)御輿は無事八幡さまに宮入りした。テキ屋の人たちにビールや焼きそばを振る舞ってもらう。循環するギフトの法則のおかげで、法被を着ていればどこにでも入れるし、どれもタダだ。懐かしい型抜きを見つけてトライしたかったのだが、ひと休みしたらまた戻らなければならない。途中、八幡の駅前を往復して、後続の御輿を待つ。5つの御輿が揃うと、祝祭ムードもちょっとしたもんにヒートアップする。年寄り衆は他の町内に負けてはならぬと大張り切りだ。どっかでお見かけした顔だなあ、と見物の一人に目がとまると、ナンバーガールの向井さんだった。
2時間ほど掛けて、ゆっくりと御輿は町内に帰る。セミプロ、というか傭兵部隊の方たちは、スピードがアップするとその度に制止し、タテの振幅が収斂し始めると、わざわざ御輿を暴れさせる。要するに、お神輿は籠屋ではないのだ。行程内でより多くの筋力と、より多くの痛みを捧げなければならない。FRPで御輿を作ったところで、それでは供犠になるべくもない。道程の9割方を終えたところで、僕はタイムアップ。着替える間もなく、法被のままで原付を飛ばし、渋谷駅へ。待ち会わせてから着替えて、東横線で菊名、横浜線に乗り換えて新横浜。今日はごっちん卒業@横浜アリーナなのだ。もうアリーナライブなんて2度と行かない、とか言ってたクセに。
ライブの内容については、もうあまり触れたくない。はっきりしていることは、これでもう、娘。たちのライブに行くこともないだろう、ということだけだ。矢口は変わらず素晴らしかったし、ののの赤子っぷりも拍車がかかっていた。フォーメーションも美しかったし、ステップもスキルアップしていたよ。でも、もうおしまいだ。ごっちんソロの時間では、床にしゃがみこんでしまった。僕の愛した娘。たちは、もういなくなってしまった。ある季節の終わりを見に行けて、自分の中でもはっきり確認できてラッキーだったとは思う。さようなら、輝かしい女の子たち。引き延ばされた20世紀は、今日で終わった。
渋谷に戻って1杯引っかけて、森さん宅でカレーを食ってあべくん引き連れて帰ってきて、近所の店でまた1杯引っかけて、新宿の飲み会にも出かけたかったけどもう体力が残ってないのでドンキに寄って生活雑貨を買い込んで、古今に寄って山口と少し話して(凄みが増した、と指摘された。そんなもんハナからあるかっつの!・笑)から帰宅。リョウタさんと電話しているうちに力尽きて寝てしまった。なにをやっても面白い、そして足下がぐらつかないまま駆け抜けられた1日だった。