おかげさまで経済的に苦しければちゃんと足りないだけ仕事のオファーが来てくれて、なんとか年を越せそうだ。当初の予定通り、まあこんなに思ったとおりうまくいくとは思わなかったけど、今年は去年の1/2の支出、1/3の収入、そして1/4の労働時間で過ごしていけそうだ。収支的には赤字だけれど、去年の蓄えがあったので問題ない。そしてなにより、月に1週間しか働かないで暮らす、という生活を具現化できている。効率はとてもいい。去年の僕なら、うらやんだことだろう。だからこそ望んだわけで、その望みはおおむね叶ったと言っていい。そんで、もう、飽き飽きだ。

一昨年、僕はラブとピースとヘイトとダンスに揉みくちゃにされて感情を太るだけ太らせ、その季節が終わったとき、行き場を失ったリビドーを仕事と社交に向けた。よくある話だ。望みどおり、仕事は群れをなしてやってきて、去年はただただ目の前の仕事をこなし続けることで毎日が過ぎていった。残高は増え、よく服を買いに出かけた。減らぬタスクに怯え、向精神剤を噛みながら僕が何度も読み返したのは、困ったことに高野文子保坂和志で、その世界への実に短絡的な憧憬からのみ、僕は次の年を働かずに過ごすことに決めた。まあお笑い草もいいところだ。理解を超えた底の浅さが身の上です。カンペキです。

叱られそうだけど恥を忍んで言ってしまうと、僕は00/01/02の3年間で、70/80/90のディケイドを、大いに端折りつつも僕なりに追体験してきた。稚拙だろうと、スケール小さすぎと言われようと、そういう風にデザインしたのだから許してほしい。そしていま僕は、世紀末に立っている。あと少しで、ようやく時代にキャッチアップできるのかもしれない。また70が来たりして。いや20が来るのか(笑)。冗談はさておき、いやあながち冗談じゃないかもしれないけれどさておき、なんでそんなことをしたのかと言えば、これまたくだらないけど、3年間かけてそれぞれのディケイドの自分にまつわる呪い、ルサンチマンでも欠落感でもいいけどさ、を解こうとしてきたんだと思う。口の悪い人には復讐って呼ばれそうだけど、とにかくこの身をこわばらせてきたもろもろを。

長くなりそうだからこの先鬼のように端折って書くけど、まず70年代の欠落ってのは、僕がカルチュアルな場所にいなかったってことなのね。うちはパパもママも、フラワーはもちろん実存主義もジャズもアイビーさえも無縁な人だったから(何しろ恥かきっ子だから周囲のベビーブーマーとは親の世代が一回り以上違うし)、僕は同世代のヒッピーチルドレンさんたちが過ごした70年代がうらやましくてしかたなかったの。例えばパパと一緒に悪そうなバイクに跨ってるとか、壁にヘンドリックスのポスターが飾ってあるとか、一家でカトマンズへ旅行、とか(笑)、そういう幼年期の写真を見せられると僕はもうすごい弱いのね。子守歌にボブマーリーがかかってた、なんて話を聞くと、言葉するとクソのような話で参っちゃうけど(笑)、素養が違うんだなあ、ってやたら伏し目がちになっちゃうんだよ。

そんで80年代は、自分では何もできずに過ごした。郊外に育って、コンビニで雑誌を立ち読みし、10も歳の離れた兄がいたおかげで、その浮かれ騒ぎを垣間見ていたにもかかわらず。うちの近所にあった音大の女の子に気に入れられた10歳の僕は、誘われてのこのこ付いていった下宿でゲルニカと彼女のインディーズバンドのテープを繰り返し聞かされて、宝島とJUPITER-8や発売間もないJUNO-106に囲まれて遊んでいた。僕が最初に兄に連れ出されたのは12歳だから86年のことで、兄が通っていた慶応のサークルの飲み会みたいな場所だった。時代だったよ、そりゃ(笑)。DCがあって、BCBGやらFDGやらが生まれては消え、うちの近所でもビーエムを見かけるようになって、兄はバイトしたお金で国産車を買い、就職活動でソープ監禁に遭いかけ、光GENJIの赤坂が近くの中学から世に出て、でも、僕はただの子供だった。

89年から93年の4年間は、ちょっと特殊な時代だったので今は書かない。この年代は、僕自身がそういう時期だっただけなのかもしれないけど、80の文脈でも90の文脈でも語れない、何か特異点のような時期だったように思っている。いつかうまく書ける日が来たらいいな、と思ってる。そして94年になって、90年代がやってきた。僕は自分が大人になったんだから、子供のとき垣間見たあの大人たちの80が自分にも来るもんだとばっかり思っていた。もちろん時代はそれどころじゃなく、知識を肥らせるするのも身を飾るのもバカのやること、になっていて、へんてこなお金の使い方が幾度となくアナウンスされ続けた。不況のサバイブ法として諦念まみれの日常がすっかりファッショナブルなことになっていて、気づいたら僕はひとりズレまくっていたわけだ。

つらつら書くのにもう飽きてきた。要するになんかいっつもグズグズしてたわけで、志向はミーハーなくせに、時代にイン(笑)な感じにはひとっつもなれなかったわけだ。だもんで、家を出て食ってけるようになって、それなりに身の自由が利くようになったところで、僕は今年は70!ってことにして、自分が過ごしたかった70、っていうおままごとをやったの。次の年は80、次の年は90、って。そんでそれは思いのほかそれなりにうまくいったよ。いってたろ?!(笑) ところが今年で、ふはははは、世間様の年代に追いついちゃったよ。またグズグズに舞い戻りか、時代なんてもんからうまいことイチ抜けた、するのか、それともうまくやれんのか。そもそも後悔ベースの自分デザインしかしたことないんだから、進行形で世事に対峙すること自体未体験みたいなもんになる。どうしようね。そんな世紀末に、僕はいま、います。