病み上がりのつもりだったが、ぜんぜん上がってなかったらしく、倒れてしまった。病気が勤め人の数倍不安に繋がりやすい業態なので、これはひさびさにとことん気が滅入るかと思いきや、滅入っている余裕もなく、もう2日、ただ閉め切った部屋のベッドから動けず、寝込んでいるだけだ。七夕の空も、明け方にトイレに立つとき、ちらっと西のほうがエメラルドグリーンに染まるのを見ただけ。やけに蒸し暑い。20代も後半になると、湿気が風情うんぬんとは関係なしに、身体に有害に作用するようだ。セキと耳鳴りが止まない。

いま、ベッドに仰向けに寝て、布団の上に載せたiBookの熱を腿に感じながらブラインドで叩いている。リテラシーというとまたちょっと違うが、一般に頭脳労働と認識されがちな領域の作業が、どの程度まで人間にとってプリミティブな存在になれるのか、割と興味深い例だと思う。訓練と反射、ルーチンとディシプリン。現状で、走るのは勘弁願いたいし、生産ラインでの組み立ても、お手玉も無理だろう。本は3行と追えない。ウェブ見ても字が入ってこない。企画書の元になる箇条書きは書けそうだが、後で見返したらロクなアイデアなさそうだ。原稿は絶対無理。論旨はぶれるし、数値系の記述も字詰めもできそうにない。

でもとりあえず、キーボードは打てるんだよね。そんで、タグも打てたりするんだこれが。昔、精神疾患の処方薬をメタクソな量飲み下した(要するにラリッた)、足下もしゃべるのも自分が誰かもおぼつかないような人が、それでも日記の記述とテーブルを含むhtml化、ファイルセーブ、ftpでアップロード、という作業を難なくこなしているのを見て、驚愕するとともにIT革命も人間のかなり深いところにまで食い込んできたもんだと苦笑させられたことがあったのだが、気づいたら自分もそうなっていた、と思わざるをえない。壊れゆくHALは、かなりおしまいの段階まで歌を歌った。独り死に行く犬は、最期の1歩まで主人を探す。