たぶん2月が他の月より少し足りないことに原因の多くがあったのだと思うのだけれど、なにか大きな流れに捕まってしまって、自分の水を掻く力じゃどうにもならないままに深い淵の方に引き寄せられていくような、息を付くことさえままならない長い仕事の季節がようやくひと段落付いた。リョウタさんに言わせると僕が陥った状態なんて序の口らしいのだが、こぶしをグーの形に握ろうとしても指を丸めるのが精一杯だとか、お尻のあたりの感覚が急に四方に散らばって、腰から下があるんだかないんだかわからなくなるような座り心地だとか、胃が自分の存在をあからさまにアピールするような締め付ける痛みとか、そんな危険信号のオンパレードに毎月つきあっていたらこちらも身の保ちようがない。ゴールデンウィークでまた日程が削られるから、もう少し自分のタスク管理を人並みにしなければ、と書きなぐりの手帳を見ながらひと息付く。長生きしたいと最近思うようになった。

先週の週末は、金曜の夜もだいぶ更けた頃に森さんが遊びに来た。森さんは誰でも知っている有名な広告屋で働いていて、なのにそういった類の人が取りがちな、スイングが大振りというか吐いたタバコの煙が遠くまで届くというか、そういった振る舞いをまったくしない。話すときに相手の目を見るタイミングが少し変わっていて、それがさらに一緒にいても相手に負荷をかけたりしないんだろうとあとで気づいた。そのせいかどうか知らないけど、森さんはゴードンのジンを、僕も飲める方ではないのにリキュールをお互い一本近く空けていて、気づいたらもう部屋に西日が差し込む時間になっていた。昼間の光の中で見ると、森さんの顔にはどこか理想臭さの残る青年の面影があって、それに気づくのにずいぶん時間がかかったことと彼の物腰とになにか関係があるのかもしれないと思った。

二人してひと寝入りしたあとで、まだ午前のうちに森さんが酔いの勢いもあって呼び出した、赤池さんとおっしゃるお友達の女性がワインを持って遊びにいらして、酔いどれた僕らもふたたびグラスを傾ける。赤池さんは僕の部屋をひとしきりみたあと、いい部屋ね、と言ってソファに腰を下ろして、その感じが僕と同い年くらいの女の子にはない、旅慣れた人がホテルに着いて言う最初のひとことみたいな感じがしてちょっと新鮮だった。どういう話の流れだったか、岡村靖幸の素晴らしさについて三者がまったく噛み合わないまま素晴らしい素晴らしいとえんえん言い続けて、しまいにはウェブサイトに新曲が上がってたから聞こう、聞こうとなにか女学生がお泊まり会でボウイかジャパンのビデオを見るような盛り上がりになってしまい、テレビがありがたいものだった時代にお茶の間で力道山を囲むような格好でマックの前に雁首揃えて小さなスピーカーから流れる新曲を聞いた。

大江さんが手がけた新曲のトラックは、制作段階の笑い話を少し聞いていたこともあったのだけれど、整理が行き届いているというか、岡村ちゃんにしては作り込みの過剰さがもたらす混沌としたところが感じられなくて、少し食い足りないと思えた。歌について書くのはとても難しい。岡村ちゃんの役割をこなそうと必死に繕っている気がしたけど、でも少なくとも新しい録音をしていることへの興奮のほうが先立った。最近、たぶん岡村ちゃんより、そして他の誰より好きな歌手の復帰話をちらっと耳にしたけど、彼の音源が届いたときはこれほど落ち着いて聞けないだろうな、とも思った。サイトではベスト盤記念とかで、これまでのプロモビデオをずらり公開していたのだけれど、ピーチクリスマスのライブ映像のイントロが流れたとき、ちょっと涙がこぼれてまいったなあ、と思って隣を見たら、赤池さんもそんな感じでそわそわしていておかしかった。もう日付も変わろうかという頃、普段は行かない、5分くらい歩いたところにある居酒屋で夕食を取って、お二人を見送って部屋に戻ったらもう明け方に近い時間。学生気分とは少し違うけど、ある種無為な、ただ過ぎていくのが心地いい時間を持てるのは悪くないのかもしれない。

なーんて思ってたら今週も土日連続で飲んでました。もう少し推敲レスでやります。自省する暇がないのも悪かないネ!(ドクロ)