部屋にソファが来てからというもの、パソコンの電源が落ちている時間がめっきり長くなり、何年かぶりに読書三昧の日々が始まってしまった。ソファがうちに届いた日、やけにくしゃみが出るので花粉症にでもかかったかなと思っていたんだけれど、どうやらそうではなくて、何気なしにはたいたクッションからボッとホコリが舞い立ち、この年代物がずいぶん長い間店頭で売れ残っていたことに気づかされた。ほこり一般にめっぽう弱い僕は、えんえんベランダでクッションをはたき続け、はたく腕が上がりかけた頃になってようやくその一辺にファスナーがあることを発見して、スウェット上下でクッションを躍起になってはたいてる姿をやや恥ずかしく思い浮かべながら外したカバーを抱えてクリーニング屋へと出かけた。ひとつよかったと思えるのは、買ったソファが木の枠にただ4つのクッションを置いただけのひどくシンプルなつくりになっていたことで、おかげでクリーニングからあがってきたカバーを向きに注意しながらウレタンに被せてもとの位置に置くと、すっかりくしゃみも止まりそこが部屋の中で過ごす時間がいちばん長い場所となった。

半日かけてソファのために部屋の家具をあれこれ動かしてみたりもしたのだけれど、いくら並べてみたところでしっくりくる感じのレイアウトなど一向に見つからず、運送屋が最初に「ここでいいですかね?」と言って置いていった場所が、どうやら彼が長年培った直感によるなんとはなしのベストな置き位置だったらしくて、結局そこからソファは動いていない。こういうクッションの効いた座り心地が人間を堕落させるのは別にいまに始まったことでもなくて、少しお腹が減ったくらいじゃ空腹感は空腹感として感じながらも、冷蔵庫へと立ち上がるよりそのままでいることを選ぶ気にさえさせるのだからソファは偉大だ。だからというわけでもないけど、そこで読む本もあんまりヘヴィなのはくたびれてしまって続かないので、もっとダラダラとなんとはなしに日々が続いていくような、あんまり大事件とか起承転結とは縁がないようなものばかりになる。

これまで僕が好きだったのは還元する前の濃縮果汁のような短編ばかりで、自然といま多く読んでいるようなダラダラ本の系譜は、タイトルや作家に惹かれて買っても読まずに積まれていくことが多いから、こういうふうに好みが変わる分には部屋の未読書ばかり読むことになってお金がかからなくていいもんだと思う。ひとつ気になるのは目の調子で、僕は老人でもないのにそこひのせいで岩波の小さな文字なんか読みづらくてかなわなかったのだけれど、正月に手術した左目に続き月末には右もやることが決まったので、まあずいぶん楽になるとは思う。両眼ともシリコンのレンズとなれば、それはそれでグラビアのために豊胸手術する女の子の気持ちが少しはわかるかもしれないけどさておき、これで眼のピント調節機能は完全に失うことになってそこが少し寂しい気がしないでもない。というわけで推敲レスのつれづれ一気書きに挑戦してみたけど、これはこれでなかなかキツいもんですな。イスも買ったし座席道楽もひと段落って感じね。そんじゃ。