バイナラ感情操作

連休中日、っていっても関係ない身分ではございますが。同居人は飲み会があるとかで早々に外出。僕はちょっと仕事したりぼけーっとしたり。体調は輪をかけてすぐれない。いいかげん歳とって2日目の神話が現実のものとなってきたぞ、いよいよ。

夜半、酔っぱらいから電話。「おい、いまQueの前だ、いまからロクジェ来いテメエ」仕方ないのでとぼとぼチャリ漕いで下北へ。入ったらいきなり「100ミリちょっとの」であらウレシ。飲んだくれは放っといてアッキーに楽屋まで連行されると、そこにいたのは織田さんと(し)さん。びっくりした。織田さんはもう2年ぶりくらいで、でっぷり太ってお父さんみたいで、なんか見てたら抱きつきたくなっちゃって抱きついてみたらなんか知らないけど泣けてきた。

毛利さんを交え昔話と所帯バナをえんえんと。ネットラから5年、みんな変わんないなあ。たまに誰かのなにかにヒットする曲がかかると、がばっとフロアに走り出して踊り、また楽屋に戻ってはしんみりと語る、というサイクルが繰り返される。酔っぱらいは延々暴れてらっしゃる。CD飛ぶから壇上上がるなっつの。まあ楽しそうだから放っとく。

今日の収穫。毛利さんの「ようかん夫妻」。なかよしナイトということで、おしまいのほうは延々なかよしナンバーが続いたんだけど、いくつか断片的にまずいところをヒットしてくるフレーズが耳に飛び込んできて、また少し泣いちゃった。歳を取るごとに涙もろくなってきてる。歳を取るごとに感情むき出しになっていく。

ほんの数年前まで、コントローラブルなほうがいいに決まってるって思っていたのに、なにかがどこかで違ってこんなふうになっちゃった。でもそれでいいのかな、とちょっと思う。押し込めたり隠したりするより、みっともないほうがなんぼかマシかとも思う。いやどうだろう。楽チンでもみっともないくらいなら、少しガマンしてでも美しいほうがいいのかもしれない、ともどこかで思ってる。まだ迷いがある。夜明けの通りをふたりして歩く。黙って歩く。