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7月に老人ホームで父に暴力を振るって以来、精神病院の認知症病棟に入院していた母が、ようやく退院となる。もう10月末には退院の見通しが立っていたのだが、移転先のホームが見つからずに困っていたのだった。オプションは多数あったが結局、今後数年はメインで面倒を見る兄が納得する施設に決めた。兄が気乗りしないことには埒があかなくなってしまうので。
病院に移ってからの母は、それまでの半年が嘘のように安定していた。老人ホームでは本人の意志を尊重するということで、個室での暮らし、他の入居者とは交流しない、レクリエーションには参加しない、拒否を示した介助はしない、という方向で進めていたのだが、結果的にはそれが引きこもり生活から父への暴力、職員への八つ当たり、入浴拒否など諸問題を呼んでしまっていた。
閉鎖病棟は、ぱっと見にはやはり気が滅入る。幼稚園児のようなお揃いのスウェットを支給され、大広間でお遊戯である。食事の時間となれば全員で配給である。風呂の時間となれば否応なく剥かれてザブンという感じ。ただそのなかば軍隊のような団体生活が刺激となり、プラスに働いたのであろう、母の精神はだいぶ明瞭さと健全さを取り戻しているように見えた。もちろん失われた短期記憶は戻らないにせよ。
ほんとうはずっとここでもいいと思うくらいなのだが、どうしても病院という性質上、緊急性のない人は出ていってほしいという方針と、所有物がほとんど認められないあたりに苦しさがあって、移る方向で調整を進めてきた。以前の反省から、ホテルのような高級タイプは除外し、グループワークの多い施設を探していった。あとはロケーションと費用で数ヶ月を要したが、とにかく個室にこもらせないで済みそうなホームを探した。
病院の去り際、ふたりの老婦人が母の近くにやってきて、別れの言葉を述べてくれた。「お迎えが来たのね。よかったわね」「さびしくなるわ。ありがとね、仲良くしてくれて」。白づくめの病院施設に差し込んだ冬のやわらかな日差しのなかで見かけるそのシーンは、なんというか、なんだろうね。人の生きる姿のひとつのあらわれだった。高速を飛ばして新しいホームへ滑り込む。なじんでくれるといいのだが。