例年のことながら冷房で自律神経を完全に失調した。睡眠はぐちゃぐちゃ、重ねて、日差しが強いのは良いのだが、8時にもなるともうジャリが歩けないくらいアスファルトが焼かれてしまうので、日が昇る前に散歩を済ませておかねば、と思うと、ちょっと寝て、起きて、散歩出て、またぼーっとして、ちょっと寝て、起きて、会社行って、ぼーっとして、ちょっと寝て、起こされてw、外出して、ぼーっとして、みたいなループ。

この冷房病ひとつとっても、国を出る理由にじゅうぶんなりえると思いながら、もう何十年も、だらしなくこの国で暮らしている。世に不愉快の種は尽きまじ。されど気にせず、さらさら生きよ、か。

私はたぶん19歳のときがもっとも楽器を練習していて、そのあとはただただ怠惰に過ごして腕が鈍り、たまに少し取り戻してはやはり鈍る、という低空飛行で来たのだが、最近、ひょっとして当時より弾けてるのではないか、と思うときがある。あとちょっと練習すれば、気の迷いではなく、もっとも弾けている瞬間を更新しながら生きていくことができる。

それはつまり、生き延びていくことに意味を吹き込めるということである。日々を重ねることがすなわち成長を意味するのなら、この下司で浅ましいみにくい魂も、いくらかは長生きして良いのではないかと、そういう許しを得たような気にすらなる、かもしれない。やっぱなんないかも(笑)。