引っ越しの訪問見積もりをもりもり受ける。ゆうても町内である、赤帽を使えば安く上げられることはわかっているのだが、かねてより音に聞くお任せパックというのに心が惹かれてならない。ほんとに何もしないで引っ越しが完了するのだろうか。そんなわけはない。わけはないのだが、なにかこれまでの引っ越しとは気分に決定的な差異が生じるような気がする。それを覗いてみたくて、ぜいたくではあるが、頼んでしまった! 頭がおかしくなったらどうしよう……。

風呂上がりに乾かしながら鏡の前で言うことを聞かない髪の毛をいじっていると(この話には説明が必要な気がしてきた。まず私はクリクリまでいかないがくせっ毛である。次に、原因は知らないが今年の春、私は急激に禿げた。日々大量の髪が抜け続け、額のラインは急速に後退していった。頭頂部も頭皮が透けて見えるようになった。そして夏を迎える頃、今度はみるみるハゲが治り始めた。脱毛は止まり、頭頂部も前髪もめきめきと生え始め、失った毛量の9割は戻ってきたと思う(1割はロスしたということであり、こうして徐々に毛を失って行くのだろう)。しかしながら戻ってきたカムバックヘアーの毛質は幾分頼りないもので、具体的には他の部位より癖が強く、酷いところは陰毛のようにさえ見えた。殊に前髪は跳ねてうねって扱いづらくなった)、ウルフが、跳ねるなら切っちゃえばと言う。

私は驚いて「髪を、切るの? 自分で?」と間抜けなことを聞き返したのだが、そうだと言う。そういえばウルフはたまに文房具のはさみで前髪をジキジキやっているような気もする。昔の流行歌に前髪切りすぎた夜なんてフレーズがあったかもしれない。私は生まれてこのかた、自分の髪を自分で切ったことがない。なにかそれはとてもしてはいけない禁忌のように思えてならないし、野蛮なような気がするし、何というか、素人が手を出したが最後、とんでもない悲劇がもたらされることのように刷り込まれているのに気がついた。

いや、それは、まずいんでないの? そう思いながら、渡された文房具のはさみを、苦笑いとともに振りかざしてみる。ちょっとだけなら悲劇的な結末にも至るまい。跳ねた毛束にエイヤとはさみを入れると、ザジザジ、と音を立ててそれは洗面台に落ちた。ほほう。何かわからないけれど、少し楽しい気がしてきた。ではもうひとつ、ザンギリ、はらり。左もやろうか、チョッキンナ。

気づけば洗面台にはちょっとした量の髪の毛が落ちていて、はっとした。「調子に乗って切りすぎたらダメよー」と遠くからウルフが言う。すでに切りすぎたような気もしないでもないが、なんだか収まりが良くなったような気もしないでもない。なんだ、切ってみればなんてことないな。切ればいいのか、自分で。40を前にして、凝り固まった考えがまたひとつ解けて、また少し自由になった気がする。髪も切ったことがなかったのかネンネだな、と笑っていただければよい。