朝のアポイントに10分遅刻、ごめんなさい。昼は虎ノ門の砂場で白海老の天せいろ食す。港屋の肉そば(日本そば界の二郎とか言われがちなアウトサイダー。大盛りの玄そばにぶっかけ、大量のごま、刻み海苔、ラー油。甘辛いバラ肉。ゲテものだけどウマいので1度は食べた方がいいと思う)を丸パクリしたメニューがあって笑った。砂場それなりの名店なのに、こういうプライドのないところがあって好きだ。

会社の誰かと以下のような雑談をしたから書き留めておこうと思う。おれは基本的に遵法精神に欠ける人間なので、淫行や薬物や脱税や暴行なんかで警察のご厄介になることもあろうかと思います(いましてるって話じゃないですよ)。まあタイホされたら酒席のネタにでもして、取材なんかが来たら「あいつのことだ、いつかやると思ってた」とコメントしてください。一方おれは自分の中の掟に基づいて、痴漢と窃盗は絶対やらない。もしこれらで捕まったら冤罪なので、可能なら助けてほしいかな。

なんで痴漢と窃盗は絶対にやらない、という掟が自分の中にはあるのだろう。ひとつには、ともに被害者になって猛烈に嫌な体験をしたことがあるからだと思う。でも、それだけでは説明として不十分で、なぜならそれだと、実際に被害者にならないとそれが禁じられるに至らないという話になってしまって、それはつまり、殺されてみないと殺しを禁じる理由がわからない、というアホな話に陥ってしまう。

こういうことをしゃべっていると「君は法治国家というものを何だと思っとるのかね」ということを言う人が出てくるのだけれど、それはまったくのナンセンスな言い草だと思っていて、個々人が何をし何をしないかというルールやモラルの問題と、社会を円滑に運営するために敷かれる法とは、あんまり関係がない。もし関係づけている人がいるとしたら、とても危なっかしいことだと思う。

なぜならそれは、自分が何をし、何をしない、という規範の根拠を自分の外側に置いているわけで、そういう人は法や国家や上位存在に規定されればそのとおりにするから、端的に言って、怖い。戦争になれば出陣に万歳するしラジオが言えば隣人を殺すし、「違法でないから」と言って人を傷つけるような営利活動をするだろう。たとえば薬害や地上げや、食品の添加物とか産地表示の問題や、キワキワの投資勧誘のような。

一方で自分の中に何をし何をしないかという掟を持っている人は、その掟が法とコンフリクトするとき簡単に反社会的な人との誹りを受けるけれど、しかし自らに背くようなことはしないから、たとえ一見荒くれに見えても、近くにいて安心感がある。おれはそういう、規範を内在化している人をたくさん見てきて尊敬してきたので、その人たちを信じるし、自分もそうでありたいと思っている。

おれはだから、たとえば未成年と真剣に恋に落ちたら寝ちゃうだろうし(ないけど!)、それで淫行条例で捕まってもしゃあないと受け止めたいと思っている。信念に基づいてデモをして、それに抑圧がかかって公務執行妨害なんかで捕まっても、仕方ないと思っている。夜通し踊る人たちを、ブレーキのない自転車の愛好者を、密造酒の製造者を常に友人だと思っている。しかし品のないことや審美的に許せないことは違法だろうが適法だろうがしない。まとまんないけど、そういう話だ。