意味もなく体調が悪い。なんじゃろね。悪いループにはまっていることはわかるのだが。引っ越ししたいなー。

いつ終わるとも知れぬ、何なら永遠に終わらないのではないかと思わせてくれる小田急地下化工事だけど、その地下に資材を搬入するルートはこの辺りだとふたつあって、ひとつが駅を挟んで東側の茶沢通り、もうひとつが西側の鎌倉通り、ともに南北に走る道だ。ともに踏切付近で繁華街をかすめ、道幅は広いとはいえず、そして、ことに休日は歩行者で溢れかえる。

そこに大型のダンプカーが入ってくるので、どちらの通りにも接触事故を防ぐべく、交通整理に警備員が過剰なほどにたくさん配置されている。僕はその両方を毎日通勤で通っているうちにわかってきたのだけれど、どうやらふたつの通りで下請けの警備会社が違うように見受けられ、そしてそれに由来するのかなんなのか、路上に漂うムードが異なっているのだ。

鎌倉通りの警備の人たちは1日中、とにかく大声を張り上げ、叫び、なんというか、基本的にやかましい。手にした棒を振り回し、所狭しと走り回り、気の毒なくらい年中、右へ左への大騒ぎだ。というか、大騒ぎすることこそが自分たちの仕事であり、大騒ぎすることでこの道路の安全は守られ、ひいては人類の繁栄がもたらされるのだと自らに任じているように思える。

一方の茶沢通りだけど、踏切の南側は歩道が整備されているものの、踏切付近はガードレールがなく、歩行者は路側帯から溢れがちだし、資材置き場への車両口を兼ねているので、踏切付近に関して言えば、警備の難易度は変わらないように見える。けれど、配置されてる人たちが大声を張り上げることは、めったにない。ダッシュすることは、もっとない。そこにはある種の意志が共有されているように、僕には見える。

それはこの警備というやっかいごとを、なるべくスマートに、すなわち通行者に不快感を与えず目立たず騒がず、しかし安全にこなしてやろうぜ、といったタイプの意志で、何なら美しさへの指向が感じられると言ってもいい。誰かに尋ねたわけじゃないのでこの部分は完全に想像だ。けれど、ただの通行人の僕にそんな妄想を抱かせるくらい、ふたつの通りでムードが違うのは事実だ。

何が違いなのか、それはわからない。現場に配置されている人員が、片方は社員で片方は非正規雇用だとか、片方のチームだけ賃金が高いとか、みんな大卒だとか、そんなことがあるようには見えない。大ざっぱなくくりで言えば、従事している人材のグループに違いはないと思う。交通誘導の警備員には研修があるはずだが、そのプログラムが違うのだろうか。現場で適用されている安全マニュアルが違うのだろうか。それもないと思う。

言うだけいっておいて「よくわからない」という酷い話になってしまったけど、結果としてどちらのチームが良いのか、それもわからない。凛と仕事をこなしていても事故を起こしたらそれは悪い仕事だし、不快で醜悪でも安全を守り切ればそれは良い仕事なのだ。ただなんだろう、顔つきが違うような気はしている。だから人が違うのだとは思う。監督する人が違うのか、それとも経営者が違うのか。観察を続けたら、何らかのヒントが得られるかもしれない。