年に1度レベルの大遅刻、40分。すいませんでした。

こないだ「渋谷の街が奏でる」でDJして思い出したのだけれど、かつて僕が頻繁にDJをしていた何年かの間、DJはあまり楽しくなかったし毎回不安で不安で、盛り上がるかどうかばかり気にしていて、そして実際そんなだから僕の不安が伝染したのだろう、たいていあんまり盛り上がらなかった。たまにどっかんどっかん当たる日があって、それにまた遭遇したくて、続けてたけど。

なんであんなに不安で楽しくなかったんだろう、そしてオザケンDJは安心で楽しかったんだろうと考えると、フロアがみんなオザケン好きだとはっきり自明で確信できていたからだと思う。でもちょっと待って。ハウスをスピンしていたあの頃、フロアが……ああ、あの頃僕は、フロアがみんなハウス好きだと思ってなかったんだなあと、10年経ってようやく、気がついた。

だから自分がいいと思って持ってきてるとっておきの盤をかけるのに、これでほんとに盛り上がるかな、受けるかな、大丈夫かな、そんなことばかり考えていた。こないだみたいに「来てるのはハウス好きな子ばっかりなんだから、これでグッとこないわけがないだろう、なにしろハウス好きな俺がグッときたんだからさ」とは思えてなかった。フロアのことを信用できてなかったんだね。

細かい話をすればハコやパーティとのミスマッチとかいろんな不安要素は挙げられるけれど、でももっと根っこの部分で、来てくれてた人たちのことを信じてなかったんだと思う。そしてそれは演者にとってわりかしなにより大切なことっぽい。少なくとも演奏者と観客との間に共感への信頼がなければ、ステージにミラクルがかかることは難しい。あの頃の僕に、そのことを教えてあげられたらいいのに。でもそれは無理だから、いまステージに立つ若い誰かに、伝えよう。君のお客さんは君がいいと思ったものをいいと思ってくれるはずだから、だからフロアを信頼して、胸を張って。と。