震災は貧困問題に移行しつつある(後)

5:生き残った者の困窮
気仙沼の主力産業である水産加工業と漁業はいずれも港湾部を職場としており、また繁華街も港からすぐのエリアにある。産業のほとんどが津波の被害を受け、組織そのものが消滅した会社も多い。したがって人口の多くが失職状態にあり、先月分の給与すら振り込まれていない。また倒壊した世帯のほとんどが地震保険に加入しておらず、もとより非熟練労働者が多く所得の低い地域のため貯蓄にも期待できない。被災フェイズからの脱却とともに明らかになったのは、東北〜関東の数百kmにわたる海岸線に、十万単位のホームレスと、百万単位の貧困層が現出したという事実である。

6:復興への道は雇用から
近々赤十字から降りるであろう数十万の義援金では、当座の飢えはしのげるものの、暮らしを立て直すには至らない。早急な雇用の創出が求められるだろう。目下気仙沼地場産業は壊滅状態にあるため、短期的に雇用にありつくには出稼ぎしかない。実際、支援先のフィリピン人女性は新潟のパブに住み込みで働くことが決まり、また男性のひとりは、2時間半かけて仙台市内の清掃業者に通い始めている。出稼ぎの斡旋を積極的に行政がリードしていくべきである。
中期的には復興産業の雇用が期待できる。すなわちガレキ撤去や土木事業、建設業への従事である。現状これらの作業には非被災地からの労働者が投入されていた。これを現地調達とすれば、復興と雇用創出の一石二鳥となるだろう。地元の復興産業を担う企業体を復旧、ないし新規立ち上げして、被災者を雇用した現地型の復興プランが必要とされる。なお長期的には地場産業である漁業・水産加工業の回復が望まれるが、設備投資の巨大さと原発による影響まで考えると、10年スパンでも困難さが見込まれる。
7:生き延びた者が生き続けるために
復興とは何であろうか。すべてが地震前の元通りになることは、どう考えても叶わない。第1に死者が多すぎる。被災者の多くが血縁者や友人といった大切な人を亡くしている。第2に被害が甚大すぎて、もとより疲弊していた地方経済に、回復するだけの体力はないだろう。生き残った現地の人たちは皆明るく、気丈に振る舞っていた。しかし「これからどうやって食ってこうかねえ」と笑う笑顔の中には、諦めにも似た乾いたトーンが含まれていた。
ふたたび復興とは何か。私個人は、被災したすべての人が路頭に迷わないだけの生活力を回復することだと思う。貧困問題への対処はある程度のメソッドが出揃っている。生活再起の支援、雇用の斡旋、そして雇用主となる企業体の体力強化である。東北へのニューディール的な企業誘致が求められるところだが、持続可能な産業がどれだけあるか、あまりに心許ない(※2)。冷たい考えかもしれないが、生活再建のためには職業の変更や住居地の移動もやむを得ないのではないか。日本経済全体を使って、このインパクトを吸収する必要があると感じながら、東北道を帰ってきた。

※2:代替エネルギーに関する雇用が創出されることを希望せずにはいられない。