昨晩は、割と近くで花火の音がするので引地川まで出てみた。普段静かなぶん、こういうとき、近所のベランダからの「ほら、早く、花火、ほら!」とか、「あ見える見える見える見える、おー」とかがはっきり耳に飛び込んできて、なんだか地域全体が少しだけはしゃいでる感すら漂う。最初は無視を決め込んでいた僕も、そのベランダ越しの声に押されて思わず自転車を漕ぎ出していた。江ノ島の付け根のあたりから、小規模ながらテンポよく打ち上げが上がる。橋の上には僕と同じように思わず駆けつけちゃった人が雁首揃えてチャリにまたがって見てる。さてさてこの文章を書いてる今は21日の朝8時なんだけど、なんだかこの花火、何年も前のことみたいだ。そんくらい心底クタクタになった一日だった。

ことのはじまりは引っ越しの日にさかのぼる。いまの部屋にはエアコン設備がないため、前の部屋に僕が購入して取り付けたエアコンを取り外して持ってきた。しかしこれがだ、リフォーム時の契約書をよく読むと(読むと、って契約書作ったの俺なんだけど)退出時は部屋に置いてくる約束になっていたのだ。不動産屋からその旨指摘が入り、わざわざ取り外して運んだものを、また運んで取り付けることに。金的にも労力的にも、完全っに無駄な行為。純粋無駄。アホすぎる。

しかも取り外しのショックで、配管には亀裂が入ってしまい交換しなきゃならない。これが3000円近くする。だったら配管込みで8000円の設置業者に頼んじゃった方が楽か、というので手配した。工事は21日に決まってアオキが立ち合ってくれることになったが、ならばその日までに、エアコンをふたたび富ヶ谷に戻さなきゃならない。これが宅急便だと4700円。だったら仕事で上京する際にレンタカーで運べば、えーとレンタカー代が6000円だけど東海道線乗ってジャリ預ければ4000円オーバーなので、差し引いていくらか割安か、ついでに実家に寄って両親の顔見てくるか、とケチにケチを重ね読みしたのが、すべての間違いだった。

朝起きて、一日の予定をノートに書き出した。11時出発→11時半、藤沢、レンタ借りる→12時、鵠沼、エアコン積む→14時、世田谷、青木に部屋のカギと工賃を渡す→14時半、神山、ジャリの爪切りと肛門腺、そのまま預ける→15時、富ヶ谷、4階まで搬入→16時、天王洲、スタジオにて取材→18時、取材終了→19時、神山、ジャリ引き取り→20時半、立川、実家→21時半、実家起つ→23時半、藤沢、レンタカー返す→24時、鵠沼、帰宅。

もう書いていてうんざりしてくるが、結局のところ、ほぼこのとおりの一日を送ったよ。もちろん計画なんて書き出した瞬間からあらゆる局面で崩壊し始めるわけで、押しまくってヒヤヒヤだったけどね。まず行きにクルマに乗り込んだ瞬間、カーラジオから渋滞情報。「戸塚区吹上では、乗用車が爆発炎上、上下線とも6kmの・・・」爆発炎上てアンタ。仕方なく鎌倉を回って横横から第三京浜を目指す。世田谷の青木の家では、メールチェックさせてもらったら緊急の用件が入っていて、これに対処するのにプラス20分を要す。富ヶ谷ではエアコン室外機重すぎて左腕が肉離れ(貧弱ゥゥゥ)。連休明けで山手通りは殺人的な渋滞。富ヶ谷→天王洲に1時間以上掛かって、超冷や汗。

取材は興が乗っていただき予定を1時間オーバー、ありがたいことだが、おかげでジャリ引き取りの時間が遅れてイヤミを言われ、立川へ向かう甲州街道でまた渋滞。実家ではもう疲労からほぼシカバネと化していて、術後のオヤジを見舞ったはずが逆に心配され、帰りの横浜新道では10秒単位で何度も意識がスイッチオフ。よく死ななかったなあ。それでもケチの矜持に掛けて、23時半のレンタル・リミットには滑り込ませて追加料金はナシで済ませた。もう2度とやるまいよ、の強行軍デイが終わったが、結局翌日一日ほぼ使いもんにならないのだった。ケチはけっきょくソンをする、の見本誌みたいな12時間。


富ヶ谷の旧宅、がらんどう。

旧宅その2。やっぱ22畳ワンルームは広かった。でも戻りたくはない。なぜなら・・・

おとなりのマンション工事がごきげんなインダストリアルノイズを朝から晩まで垂れ流しまくってくれてるからだね。ひさびさに戻ってみたら、よく住んでたなあ、って感心しちゃうくらいの大音響だったよ。