ABCが破産、閉店したという。今後寝付けない夜更け、どこに行けばいいと言うんだ!<アンタもう都民じゃないでしょう、というツッコミは誰からもいただけませんでした。それにしても僕らにとってただの本屋以上の意味を持ちまくっていたある種の砦が、こうもやすやすと崩れ去るのを目の当たりにするとは。こういうことを言うとまた、知的水準がお高い人はどうのこうのとチャチャを入れる奴らが湧くのですが僕はそいつら全員が大ッ嫌いです。お前らがへんな自意識発揮してシニックに浸ってるのは勝手だけどそれをスノッブの糧にして若者を誘うな老害じゃボケ。

閑話休題ドメイン取ろうと思ったらrootsy.comには先客がいて、でも使ってないで遊ばせてるようだから、カリフォルニアにいるとおぼしきドメイン主に「俺は8年間もrootsyというサイトやってるんじゃrootsy.comタダで譲れ!(意訳)」と言ってみたら、「売買サイトで査定したら七千ドルの値が付いたドメインだぞくれてやるわけねえだろボケ(意訳)」という返事が返ってきて、「じゃあ金はねえから、日本で欲しいもんがあったら買って送ってやるから言えよサケとかツクダニとかよ(意訳)」と言ってみたら、「ストレンジなことぬかしやがるなこのジャップ。しかしちょっと聞け俺の娘は19歳でパーカッショニストなのだが、来年日本に行くっつうんだよ。そこでだ。彼女に日本の音楽業界での働き口を見つけてやってくんねえかな。もしそれができるっつうんなら、レンタルサーバ代まで面倒見てやるぜー(意訳)」という返事が来た。どうしよ困った!(メールの翻訳は鬼百合姉さんの全面協力を仰いでおります・笑)

午前中ちょこっと仕事をして、昼寝をして、4時半から海。入ってすぐは波もスモールでどんよりムードだったんだけど、なんかバテはじめた6時前からいくぶんまとまりはじめて、トロトロながらセットでモモくらいまで上がってきた。今日は右から左の流れがけっこうあって、修正するよりどんどん流されてみる方針でいたら、船前くらいでイイ感じのブレイクに当たりそこに留まることに決める。傍目に見りゃただのトリミングなんだけど自分的にすげえ盛り上がる乗り継ぎ方をできた波が数本あって、さらに感覚を取り戻せた手ごたえ。ボトムターンからフェイスを上るイメージが、脳内ではかなりまとまりつつある。このペースなら、あと1、2週間で寝込んで衰える前のレベルに戻れるだろう。そしたらその次は、また未知の領域だ。ヘタクソで良かった。レベルアップのドキ胸がこの歳でこれほど味わえるなんて。<110回目>オンショア、ヒザモモ、面ザワ超トロい、2時間。

晩、ふと電話してみたらマキコが彼氏と藤沢にいるというので、遊びに来ることに。由比ケ浜に住むターンテーブリストの彼氏は前に富ヶ谷の家に招いたことがあって知らぬ顔でなく、音楽のことや就職活動のこと(笑)などちょろっと話込んだあと、届いたばかりの野本かりあの新譜をみんなして聞いてみる。なんでわざわざ客前で掛けたかと言うと実は、僕とマキコはいっときカーリーとツルんでクラブはしごしたりしてた時期があって(2000年10月の日記に登場してるが遊んでたのはもっと前。その頃はまだモデルやめよっかもう歳だしどうしよっかねーとか言いながらオトのカウンターに入ってた)、もうどうせアタシたちのことなんか憶えちゃないだろうねー、売れて有名になるといいねー、などとありがちなことをくっちゃべりながら聞き通した。カーリー的にどうだかは判断つかないけど小西さん的にはひさびさの渾身作だった。

さらに夜は更け、辻堂に住む彼の友人宅におじゃますることに。この辺りに典型的な建て売り住宅にファミリア感盛り上がりつつズカズカと上がり込むと、モジュラー式のアナシンやら雑多な弦楽器類やらがごってりの部屋。ああ実家暮らしで趣味のもの貯め込むとこうなるんだよなあ、って雰囲気が懐かしい。テレビ番組の制作会社でADを始めて間もないという友人氏は、人間扱いされないその忙しさをしきりに嘆く(そりゃそうだ民放の制作のADなんて奴隷民の最たるもんじゃないか)。お塩バンドに入っちゃった友達の話とか地元の話を聞いたり、身体壊さないでねーあ精神も込みで。と一応センパイらしいことを言ったりして退散する。家までマキ彼のクルマを運転させてもらって上機嫌。彼らはこれから寝ずにニモを見たあと(朝5時までに返さないと延滞になるんだと)、WIRE会場のテクニクスブースでデモ演の仕事だそう。若者はタフやね。