日仏の中庭で、新新生スパンクスが音楽祭に出るのを見に。しっかしあれだね、コロニアリスムは歴史的に解決されつつあるというのが大方一般の見方だけど、まったくそんなこと思えなかった夕べだったね。別にフランス人サイドの心性が見下してる感じ、とかそういうんじゃなくて(第一そうだとしてフランス人のことなど知ったことか)、問題はいつもこちら側、背の低い側だ(笑)。要するに来客の日本人に濃く漂う帰国子女感、語学キャリア感、なめてかかると論破してやるわよ感、ガイジンと対等に渡り合えるわよなんならラブアフェアだって感、がみっともなくて堪らなくなってしまったのだ。それで「鹿鳴館外交から100年余」なんて与太も飛び出した次第。

江戸人が社交界の真似をして失笑買ったのが100年前、ならば昨日は、えーと、フランス文化の治外法権地で西洋かぶれの銚子産ジャズメンがジューイッシュ・ハスラー気取りで、上海からやってきた中国・ロシア、オーストラリアの混血華僑娘がテレサ・テンばりのエイジアン・ジャパニーズもしくはやけに本格的なフランス語で歌い踊るのを見せびらかしてる、のを苦笑混じりで眺めていたわけです。もうわけわかんねえよクローズアップ現代! あのステージがテンポラリーなものなのか完全に設計されたものなのか、単純な悪趣味なのかエレガンスへの意志に誰も気づけてないのか、誰にも最後まで判別がつかないミスティフィカシヨン。

まあみんないろいろ言いたいことはあるだろうけど、俺がとにかく思ったのは、人にできないことをやる、というのは大した才能だ。ということで、要するにつまり、俺や君が菊地さんの立場にあったとして、今回のオーディションでドミニクに決めたのは誰もいなかったんじゃなかろうか、ということだ。誰もがイイ感じにいい按配の履歴書をピックアップしたはずで、あれはチョイスしなかっただろう。それは意外性とかハズしとかそういうんじゃまったくなくて、菊地さんは本気だと思うし、単純に「変わった人」とか「おもしろパーソナリティ」というのはいて、それはいるだけでみんなを楽しませる、ということだ。いやまったく、口ポカーン、は、楽しいもんだったよ。