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めちゃくちゃ体調がツラくてぶっちゃけ自殺しようかとかなり思い悩んだんだけどよしといてよかった。なんでかっつうと朝に451から連絡があって(体調最悪なときって人に連絡すら取れないの。これは今回学んだ重要なことのひとつで、本当に助けが必要な人は助けを呼ぶことすらできない、という)、いますぐ来て至急!っつったのに、昼を過ぎても1時になっても2時になっても来ねえのですげえ腹が立ってきて、もうこっちゃこんなキツい思いしてるのにアイツはどっかのデパチカかなんかでたらたら買いもんでもしてるのかと思ったらなんかやたらムカっ腹が立ってきて、もう顔真っ赤でカンカンになって血圧上がって、そしたら妙に元気になって部屋掃除しちゃった(笑)。しかしあれですな、人生はすなわち苦ですよとお釈迦様はゆったらしいけど、この、ヤマイっつうのはほんまにどうしょもないな。俺ねー、この先たいていの精神的なウジウジとかクヨクヨとかって苦に思わなくなる気がするわ。
■奈良田の焼畑農業
「草川さんと俺」シリーズを続けよう。飛地というのは行政区画上の、離れ小島みたいに取り残された土地のことだけど、これが言語体系上の離れ小島になると「言語島」と呼ばれることになる。有名なのがこないだまで和賀ちゃんon中居くんの砂の器で取り上げられた出雲弁で、中国地方にあってあそこらへんだけ東北訛りにごく近い発音があったりするんだけど(寿司、煤、獅子がぜんぶスィスィ)、そんな言語島で草川さんに昔教えてもらったのが山梨の奈良田だ。
直線なら甲府から割とすぐなのに南アルプスの峰々に高く遮られ、ぐるっと身延まで下りて早川沿いにエッコラ上っていかなきゃならない奈良田は、そのアクセスの悪さからよく隠れ湯とか秘湯ランキングに入っている。その温泉に湯治に来たと伝えられているのが奈良時代の孝謙天皇で、まあ十中八九ウソだろうが、しかし西方からの何らかの足跡が言語に残されている。早川沿いに集落が点在するこのエリアにおいて、この集落だけが奈良田の名どおり関西訛りなのだ。平家の落人が逃げ延びてここに住み着いたのだろう、という観測が一般的だがほんとうのところはよくわからない。
まあそんなわけでアクセス最悪、秘湯、言語島、というだけでときめくのだが、奈良田にはさらにもうひとつオプションがあって、それがタイトルに載せた焼畑農業だ。さすがに平成に変わってからは観光産業と普通の農業にシフトしているようだが、昭和の、ずいぶん後の年代まで焼畑が残っていたらしい。そして、その様子を収めた(正確には再現したらしいが)学術映画が『奈良田の焼畑』だ。見たい。もうどうにかして見たい。さらには(これ誰かからの伝え聞きでソースねえんだけど)この集落、昭和35年くらいまで、原始共産制、というのかな、農具とか家屋とかほとんどが集落の財産で、農作物も共同倉庫で共有していた、らしいんだよ。トキメクー! 税金とかどうしてたんだろうね、頭割りかね。あと、焼畑の宗教的な意義についてはまたいつか述べたいところです。
早川町歴史民俗資料館
http://aozatsu.s4.xrea.com/mus/hayakawacho.htm
集落町並みWalker
http://nomnomk.cool.ne.jp/03datebase-page/yamanashi_data/naratafile.htm
焼畑農業
http://www.tabiken.com/history/doc/S/S193L200.HTM
奈良田の焼畑
http://www.harapan.co.jp/Miyazaki/Chiiki/joryu3_koryu1.htm
奈良田の方言(TFJ情報)
http://www.nhk.or.jp/a-room/kotoba/25yamanashi/25episode05.html