#慌てて書き足す:あの、もう大丈夫だから書けてるわけで、みんなメールくれたりしてスマンなえへへもうオケーよ立ち直ってるから。つうかこの人スゲエぜマジで。

これだけはどうしてもみんなに伝えたいんだけれど、どん底のときほど、啓示は訪れる、みたいだ。今日はそんな日だった。朝起きたときはもう最低で、起きてすぐに泣き出して、どこかへ逃げてしまおうとか消えてしまおうとかそんなことばっかり考えていた。携帯も固定のほうも留守電は怖くて再生できないメッセージでパンパンになっていたし、そのメッセージの原因である積み残しの仕事はひとつも片づいていなくて、本来ならばすぐに取りかからなければならないんだけれど、取りかかったところで手につきやしないこともわかっていて、手につきやしない原因もわかっていてその原因が容易に解決しやしないこともわかっていて、要するに八方ふさがりだった。

でも約束がひとつ入っていて、その約束だけが一筋の光明であるかのような気になって(というかほんとに頼りはそれしかなかった)、申し訳ないけど仕事はもう半日放って置いてその約束に出かけることにした。もうすでに遅刻するだろう時間だったけれど、それでも行かなければほんとうに八方ふさがりのまま今日が終わってしまうこともわかっていたので、とにかく身支度をととのえて、出かけるのだ。ジャリを預けて、小田急線に乗る。ひと駅前で急行から各駅への乗り換えで5分待たされるというので、もうわけがわからなくなってしまい、思わず降りてタクシーに乗り換えてしまう。どう考えてもホームで5分待って各停に乗り換えたほうが早いのだけれど、それがもはやできなかったのだ。動いていてくれたほうがまだ助かる。

這々の体でマンションのドアを開けると、その人は「今日も見えないんじゃないかと思っていたんですが、いらっしゃったんですね」と言って笑った。今日も、というのは、25日に一度、すっ飛ばしてしまっていたからだ。非礼と遅刻を詫び、中に入る。迎え入れてくれたのは、整体師の片山洋次郎先生だ。さて困った。こっから1時間のあいだに起きたことを、どう記述したものか。いや別にナイショにしようとかケチくさいこと言うわけもないし、施術のそれぞれを時系列で書くのは簡単なんだけど、そういう感じのできごとじゃなかったんだよね、全く。だからといって秘術的とかオカルトとかそういうんでもなくて、じゃあどうして書けないかといったら、それは記述とか言語とかの外側に関するある種の運動だったから、とでも言えばいいのか。うー難しい。

僕がこの片山先生という方の考えについてあらかじめ知っていたいくつかのことがらのうちいちばん大切なことは、僕なりに勝手に解釈すれば、こういうことだ。人間は言語を獲得する以前から生きてきたわけで、そのプレ言語時代に意思伝達や世界認識を担っていた力のことを仮に「気」と呼ぶとする。言語の発達とトレードオフに我々はこの気的感受性を弱体化させていったが、しかし我々の身体は変わらずこの気的活動を原理としているため、そのギャップに心身の調子を崩したりする。従って身体の調子を整えたければ、その言語の外側にあるものを大切にして耳を傾けることだ。――というわけで片山先生は問診もなく僕の身体を眺め始めた。そしてぽつぽつと会話を交わしながら触って様子をみていくいくわけだが、その様相を記述してみたところでほとんど意味をなさないだろう。もうその時点で、その行為は言語の外側で行われている運動なのだから。

いずれにせよ施術が終わり、お礼を言って外へ出て、僕は生き延びたことを瞬時に知った。端的に言えば来るときの僕は、帰りの小田急線に飛び込むか飛び込むまいかとかそんなことばっかり考えていたわけで、そしてそんなアイデアはきれいさっぱり、とまではいかなかったけれどとりあえずポジティブな感覚が先行する感じがはっきりとわかり、それで僕は大きく息を吸って大股で歩いて立ち寄った書店で本なんか2、3冊買ってから帰り、メシを食って仕事をして風呂に入って寝ることができた。保坂和志がよく言う、言語の外にあるものを言語で記すことの困難さとそれに立ち向かうことによって作家が高められる、という問題について今日ほどはっきり感じたことはない。そしてそれは圧倒的な困難さだけを僕に開陳したけど、しかし絶望を呼び込む感じではこれっぽっちもないことも付け加えておこうかな。