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えんえん仕事。海行けず。テレビではにわを見るが、バンドを従えていてまったくもって面白くない。はなわがもっともパンキッシュなのは地域ネタでも松井のモノ真似でもなくて、当然ながらベース一本で歌を歌う、というスタイルであり、これはもう、西洋音楽史を転覆させるぐらい恐ろしい企てである(嘘ばっかり。でも凄いのは本当)。それはアンサンブルの解体、どころではなく、演奏されるべきフォーマットがあらかじめ決定していてそれを聴衆が既知のものとしているなら、部分だけ提示すればじゅうぶんでアンサンブルは必要ない、というところまでいってしまっている。局所的には散見された現象だが(たとえばハウスのハットだけ聞けば、フロアはもう揺れ始める)、それをテレビで、国民的水準で、しかも一曲通してなしとげてしまったことは驚嘆に値しよう。
音楽を処理する脳とはたいしたもので、はなわがルート弾きのベースで弾き語りしているとき、ちょっとした間抜けさを感じると同時に、我々はすでに和声も、律動も、フルバンドのアレンジで聞こえている。あの歌謡曲的なコード進行のルート弾きを聞いただけで、脳にはビートロックのギターが、スネアが、シンバルが、補填されて聞こえているのだ。また同時に、聞かなくても聞こえてしまうほど、それは日本国民の骨身に染みこんだ音楽だ、ということでもある。たとえばファンクのベースラインのみを抽出して弾いたところで、ああは聞こえまい。はなわがベース弾き語りだと面白く聞こえ、バンドつきだとつまらない理由は、どうもその補填回路に関係していそうだ。そっから先は、まだちゃんと考えていない(2重に聞こえているからやかましいのか、それとも補填回路が働いていると注意力が喚起され歌詞が入ってきやすいのか、はたまた)のでよくわからない。