目覚めても全身が鈍痛に包まれたままで起きあがれそうにないので、馴染みの治療師の先生にひさしぶりに来てもらうことに。一時はかなりの頻度でお世話になっていたものの、完全に麻薬化(依存度も金額も)していたので控えていたのだ。結論から言えば、さっさと呼べばよかった。横になった姿を見るなり、熱、出しちゃいましょう。ということになって1時間ほど触ってもらい、施術が終わったあとで体温を測ると、最初に測ったときよりもうすでに1度2分ほど体温が上昇しているビビッドなお手前。最近、体力どうですか? と聞かれ、それなりに動かしている旨伝えると、では3時間後をピークに熱が引くでしょう、と明快な回答が返ってきて、然してそのとおりになるのだった。指圧、背中だけにしておけばよかったですね。首触らせなければこんなことにならなかったのに。とのコメント。明日には復調するだろう。

渋谷駅前の年越し狂騒をテレビで見た。ほんの近くにいて地響きだけ耳にしてはいたものの、あそこまですごいことになっていたとは思わなかった。南米の風景そのものであり(しかもリズムだけ欠落した)、経済と治安が南米並みになるのならガス抜きも南米並みにしないと、というワールドカップによる大衆教育は当面の成功を収めたと言ってよいだろう。自民すげえ。官僚すげえ。一瞬微分化、拡散化したかと幻想されたこの国のハレとケは、封建時代のそれへと完全にコントラストを取り戻した。まさに新世紀。この気分はくずの生きてるって素晴らしい、と共通している。生命賛歌は、常に不景気によって浮上し、再確認される。理由はどちらも単純で、資本主義の世でお金がないということは、新年や生存くらいしか歓びを噛みしめることがないわけだから。もちろんそこで、無料だけど華やかで一体感のある政治集会でもやれば、これはたいへんな盛り上がりを見せるに違いないだろう。たとえば有名タレントを集めて、ドーム全員でハイル大作、とコールするような。

ちなみに寝込んでいたときはずっと、あべくんから借りたどうぶつの森+を延々プレイするか、とあるフランス人とメールのやりとりをしていたのだった。ブツモリについてはまたいつか記述したいが、とにかくこのフラ語文通がもうめちゃくちゃ負担で、30行ほどのメールを書くのに3時間くらいかかってしまう。しかもこっちがそれなりに気張ってレスを返すもんだから、向こうも調子に乗ってそれなりに内容があることを書いてくるので、読むのにも1時間くらいかかってしまう。まるで「世界中の人とEメールで仲良くなれる!」とかって興奮していたインターネット草創期みたいだ。ああ、もっと仲根かすみを見ておけばよかった。

木村さん、ゲストブックにご記帳ありがとうございます。えーと、空恐ろしいです(彼女はいつも俺の顔を見たとたんにその場から立ち去ってしまうほど俺のことが嫌い・笑)。今年はよろしくね(苦笑)。