早朝、目が覚めたらさめざめと落涙していて、なんだこりゃってびっくりした。散歩、洗濯、洗い物、ミート揚げパン、お茶、復活。原稿ようやく出来。次の仕事が詰まっているのだが3枚の原稿に足かけ2日もかけてしまった徒労感から逃れ得ず、今日は強制オフとする。晩にタグ来宅。スタイリストの三田ちゃんから電話。30女4人でメキシコに旅行に行ったものの、延々ハブにされ続けて自分が写ってる写真がない、という話(笑)。

昨日、とある写真家のサイトを見ていたら、1枚の写真で視線が止まった。あれ、あれ? 数秒後に思い出したのだけれど、その被写体になっていたのは10年近く見かけてもいない地元の薄い知人だった。コメント欄にはその人のサイトにリンクが貼られていて、よしゃいいのに辿ってみたらその人の近況とか俺も知ってる何人かに関する記述とかがあって、なんかウェブのリンク&アーカイブ性がノスタルジーに与える影響とかを思い知らされた感じ。要するに「知らないほうがよかった、のか? のか?」系。記録は人を陥れたり狂わせるのに十分な負のパワーを持っていると思う。記述や写真ならまだいい。幼少期のホームビデオとか、見せるだけで自閉症のヒッキーひとり殺せるくらいイルなんじゃないだろうか。幸いにしてうちにホームビデオはなかった。そういう世代だ。でも8mmがまだ残ってるかもしれない。あれにはブルーインパルスと肩車、ポップコーンが写っているはずだ。油断はならない。