ここ1週間ほど、13時に寝て21時に起きる、というハーフスリッピンな暮らしだったので、今日を調整日として反転させることにする。とはいってもベッド1台ソファ3台、要するに部屋のどこにいても即入眠可能な我が家のこと、よほど強固な意志を持たなければ夕暮れ頃には寝てしまうだろう。もちろんそんな意志があるわけもないので、外出してなんとかしのぐことにする。

とりあえず近所のカフェに入るも、まあお約束、速攻で寝こけてしまう。目覚めると店員さんがジャリをあやしていて、グラスの氷は溶け切り外は暮れどき。商店街ではステテコのおじいちゃんが三輪車に乗った孫たちにオレンジに染まった雲を指差す、という冗談めいた光景を目撃。僕も西の空が開けた空き地に出て、少なからず狂気を孕んだ半天に及ぶ夕焼けを眺めさせてもらう。

少し昔話をすると、僕は中学校の3年間に渡って毎日のように、少なく見積もっても年間300日は暮れどきの空を見ていた。部活のおかげだ。窓際の定位置は南西に向けて開けていて、表丹沢の大山から始まり、三ノ塔、塔ヶ岳、丹沢山蛭ヶ岳、桧洞丸。犬越路で大きく凹み加入道山、その手前に高尾山の大杉が1本1本見え、奥には富士山。影信山から平たい稜線が陣場山へ連なり、そこからは奥多摩連峰、権現山、馬頭刈山の尾根、そして僕が信仰めいた思いさえ抱いている大岳山、御岳、六ッ石、鷹取と、いまでも諳んじてるのには笑うけど、多摩あたりに暮らしていればお馴染みの山並みがパノラミックに見渡せた。冬至頃には富士山に近い位置に陽が沈む。

若い頃に空の姿を定点観測できたのは幸せな体験だった。総体を、細部を見ずに印象として認識してしまい、差分と類似から大まかな志向性を導くカニングな観測方法はこの時期に養ったものだと思う。要するにあれだ、漁師がぱっと空を見上げて、別に理由はないけど(ほんとはないわけじゃないが個別の理由として認識しないから回答が早い)明日は雨降んべ、みたいな天気読みのちゃちな真似ごと。だが、その方法を適用できないくらい、ここ数年、年々夕焼けの彩度が上がってきているように思う。なに油井みてえなこと言ってんだ俺は(笑)。古今に寄って、いよいよ眠くなってきたので12時頃には寝てしまった。