目覚めると、また春に逆戻りしたような、涼やかな陽気。夕方、用事があってディストリクトに行くと、セールやってやがって、しかも初日で、用を済ませるなり目をつぶって駆けて出てきた。渋谷に出て、少しレコードを見て、お酒を一杯だけ飲んで窓辺でまどろみ、雨が降り出したので慌てて帰る。

圧倒的勢いで全身に筋肉痛。大した運動もしていないのに。最近主食がコメからパスタ、さらにクスクスへとどんどん無精になりつつある。サッカーを見ていると、アフリカ勢と中南米勢のそれぞれ独特なバテバテ曲線には主食が影響を与えているのではないか、と思う。なんでも炭水化物ダイエット?とかいうのが流行しているらしく、要は主食を抜くことで血糖値のコントロールを図るという非常に原始的な、学説は新説らしいが経験則的には何をいまさら名前付けやがってバカ、って思える方法だ。

そんで、僕は最近主食ってなんだろう、ってすごく興味がある。たとえばほら、バナナが主食の部族とかさ、あと牛乳が主食の地域とか、まあそういうエキゾ方面の興味もあるけど、それより、主食がなぜ主食足り得たのか、という条件みたいなものに惹かれる。連食が仇とならず、むしろ食べれば食べるほど、飽きれば飽きるほど魅力が増すテイスト。単一主食状態を国家形態と結びつけたがるミギーなお方も多そうだけど、そんなアイデンティティ付けなんかしなくてもその土地の主食は主食であり続けると思う。それはアメリカが特定の主食を持たないことで逆説的に証明されている。

要するに、飽きと旨さがイコールになるジャンル。新鮮さや差違が飽きに負けるジャンル。それを軽んじるのは簡単だが、子供のやることだと思う。子供みたいなご飯しか食べないアメリカ人と、子供じみた食餌制限をさせるダイエット。栄養学的見地からはわからないけど、あまりに地上波的な嗜好の開発がちょっとどうかと思うんだ。そもそもダイエットはテレビ的だけど、おかずだけ食べてれば痩せるんだー、って納得の仕方(一瞬、納得したような気になってしまうあたり僕も地上波好きの面目躍如なのだが)は、食事うんぬんを越えて物事の楽しみ方の半分以上を放棄させられているんじゃないだろうか。