さあ、この興奮を書き付けよう。昼過ぎ、ミュージカルのチケ取れてたことが判明。お茶をご一緒していた、会うの2度目という友人に図々しくもジャリの世話をお願いし(いいようにお願いしてしまってすいませんでした、ほんとに)、青山劇場までチャリ漕いでゴー。会場前はダフ屋とモーヲタさんでごった返し。それに準じてミニモニ。支持層の子供たちも多かったのは、先月のさいアリと同様。幕を待つロビーは、オペラも娘。も変わらない神妙なドキドキが充満している。ホールに入って席を確認。うっわー近い! 近い近い近い! 距離は大事!(いろんな意味で)

さて、ボケッとしている間にそれとなく始まってしまったんだけど、こりゃまたたいへんなところへ来てしまったもんだ。あいぼんがそこらへんにいる(笑)。さいアリで非常に苦々しく残った、規模によるオーディエンスの消失、みたいな問題が一瞬にして補填されてしまった。正直に言おう、1万2000円のチケットに僕はヤフオクで2万出したんだけど、これでも安い。安すぎる。価格破壊(©omo*8)を網膜で納得させられるこの至福。しかしそんなことはお構いなしにミュージカルは進行していく。

お話は2部構成。夢が丘駅を挟んで北側の旧商店街は閑古鳥の毎日。銀行からの借り入れもかさみ、店舗を手放して散り々々になっていく商店主たちだが、だんご屋だけは十年一日の商売で堅実経営を続けている。その娘がなっち。街を離れる娘たちにあいぼん、吉澤、高橋、新垣。娘たちのたまり場になるドーナツ店のバイトとして飯田。パティシエ志望のなっちだが、和菓子職人の父親をひとり置いて上京するわけにもいかず、バイト片手間にケーキ食べ歩きのモラな日々。他の娘たちも各々志望を抱えつつも、台所事情や病床の母などそれぞれの事情により夢に蓋をしている。志望さえ見当たらない完全モラな飯田は、そんななっちにだんご屋をケーキ屋に改装することを提案、商店街を去りゆく娘たちも協力を誓い合う。

一方、南側の新興デパートにテナントを構えるファーストフード店では、ドジでのろまな新人バイト紺野が保田店長に叱られている。それを励ますバイトに石川、わがまま社長令嬢まりっぺ、そして彼女らの憧れを一手に受けるエリート主任、ゴマキ。紺野がお遣い先で引き合う主任の妹に小川、アイドル志望の女子高生がのの(また薄い役でザンネン)。紺野のドジが続く中、ゴマキに出世街道となるニューヨーク赴任の辞令が降りた。しかしなぜか苛立つゴマキは、獣医志望の紺野に、ドジに生き物の命を救えるはずもない、と突っかかってしまう。追い詰められた紺野の口から出たのは、何でも器用にこなし店員たちの想いもそつなくかわすゴマキこそ、本気で何かや誰かに向き合ったことのない弱虫だ、という弾劾だった。

どちらもお話はソリューションを得てハッピーエンドで締めくくられる。しかし何なんだこの切実さは。自己実現を通層低音としながら、その疎外要因として、つんくは迷いなく経済もしくは境遇(第1部)、能力もしくは恋愛(第2部)を持ち出してくる。これら自分の意志だけでは思いどおりにいかないこと、の代表選手たちを前にして、ステロティピカルに陥ることを恐れないだけの切実さが、つんくにはある。そしてそれを説得力を伴って伝えられるタレントを持った存在は、やっぱり娘。たちしかいないと思う。彼女らは、陳腐と道化をオルタナティブなやりかたで無効化して国民的人気を博すまでになった、いまのところただひとつの成功例だからだ。つんくと娘。たちは長いことかけて、この国の80年代と90年代をまとめて解毒しようと勤めてきた。

現場ではそんなことお構いなしに、や〜んごっつぁんこっち来た〜。とか惚けてたんだけど、2部の幕が下りて5分の休憩を挟んだあとに、あそこまで贅を尽くしたショウが待っているとは思いもしなかった。音量も、音質もホールクオリティ。なんのギミックもなく、至近距離で、幾重にもフリルの付いたドレスをまとい、彼女らは歌い踊り始めた。そこに舞い降りた奇跡について、僕は何と言えばいいんだろう。ただただパーフェクトだった。キック、跳躍、パンチ、ステップ! まさしく娘。三昧、フォーメーションとグルーヴによるディオニュソスの祝祭。

袖に戻った娘。たちが、アンコールの声で再び降臨する。曲は、こともあろうに(再び書こう)24時間テレビの武道館をペンテコスタル教会に見立てたフル・ユニゾン・ゴスペル「でっかい宇宙に愛がある」。階段を下り降りてくる半裸の娘たちの手には、星のステッキ。これはファンタジーじゃない。ファンタジーを成立させようという意図で企てられたものじゃない。彼女らは現実との対峙を演じ、そして世界との付き合い方を歌う。善き心の在り処を身を挺して示し、そのフォースをもって僕らに生き延びる術を授ける。これをゴスペルと言わずして何と言おう。

個人的なことを少し。笑っても良いけど、なっちが手を振ってくれたんだ! そのミラクルは、驚くべきことに僕が最も忌み嫌うフォークとトランスのコア精神、つまりものすごく簡単に言えば、世界をシンプルに肯定する心さえも内包していた。なっちの星のひと振りで、呪いも苦みも痛みも闇も、そして光も虹も兆しも快楽も、そのまま普通にあっていいことになってしまった。別にもう、誰かになじられたり褒められたりしなくても大丈夫。僕の深淵なんてそんなもんだ。簡単なもんだ。だから僕にはもう、ファックなことなんてこの世からひとつもなくなってしまった。ただひとつだけ願うなら、僕はモー娘。に入りたい。僕の夢はそれだけだ。

なっちサイトやろうかな。サイト名はもう決めていて、「食べ放題」っていうの(嘘です、やりません。笑)。

えー、人は欲深いものでしてー、14日の晩に再び席を取ってしまいました。前から数えると片手で足りる列です。もう金額は言えません。資本主義!