昨日ひさしぶりに電車に乗って思ったのは、最近移動が少なすぎることがある種の息苦しさを産んでいるのではないだろうか、ということだ。仕事では大半のクライアントの方にこちらまで出向いていただいているし、最近地方ロケもめっきり減った。飲みに行くのはタクかチャリ。食事も、遊びも。なんか半径4、5kmのエリアからほとんど出ていないのが現実で、それは立川から都心へ遊びや仕事に出かけていた実家時代の移動距離の1割ほどでしかない。便利になった。なったけど、でも。

でもなんだろう。あんなにイヤでイヤでしょうがなかった電車に、ふと乗りたくなる。一時はわざわざ高速飛ばしてバイクで遊びに来てたんだ。パーティが跳ねた帰りの中央高速、バックミラーに朝焼けが始まるのを見たとき、僕はユーミンのあの曲がわかった気にさえなった(笑)。そうバイクがあった。箱根へ、奥多摩へ、それが仕事であるかのようにバイクを駆って走りに出ていたんだ。笑っていいけど、そこそこ速かったんだよ。別にテクがあったわけじゃなく、単純にコーナー突入時のブレーキが遅い、ってただ一点において。マシンもライダーも性能が悪くたって、ブレーキ堪えさえすればけっこう負けない、ってことを覚えた気がする。おかげでよくコケる人生になりましたけど。

バイク、また乗ろう。なんかここ何年も言ってる気がするけど。何乗ろうかにゃー・・・こないだ見かけたダーマのカスタムとか(略・妄想2万字40分)。モトグチさんいいなあ。丸目のルマンなんか最高だ。あのビキニカウル! いずれにせよ精神衛生のためにはどうやら単純に移動距離が必要みたい。それは旅を志向する気持ちとか、定住と遊牧とかそんな大それた問題じゃなくて、もっとシンプルな移動。慣性と刺激、座標の変更、それにともなって巻き起こる風。瀬と淀み。引きこもりの打開策として移動療法というのを提案したい。嘘です。