いやー、点けっぱなしたテレビが春眠に暁告げまくった。優香のエリスのCFだ。最近流行の稚拙さを残した着ぐるみづかいとか(震源jackassというのがちょっと気に食わない)カメラ小僧のスタイリングがFineLAGERそっくりで共に僕の嫌悪感を掻き立てるとか、意匠にまつわるコメントはいろいろあるけど、とにかく優香の、いや、もうゴメン、優香ちゃんって書いていい? 優香ちゃんの声が最っ高にラブリーだ。僕の中でラブリーってのは要するにああいうことなんだけど、つうか優香ちゃんって書いちゃったらどこかで何かが弾けて感情が堰を切ったように溢れてきましたどうしようわー。

志村Xとかでちらっとあったにせよ、歌う優香に遭遇したことがなかった。考えもしなかった。それが、あの破壊力。美選協方面の優香評価はつとに知られているし、それでなくてもグラビア露出時代から目には触れていたわけだが、僕はどうにも乗れなかった。一度乃木坂のスタジオで見かけたときも、予想通りというか、ああ、あれね、的な気持ちしか持てなかった。本当のことを言えばああ、あれね、というのは僕にとって最も鬼門というか凶相な感情で、ナチュラル・ハイでフィッシュマンズのライブをああ、あれね、で看過した前科がある。さておき。

CF前半ではハイパスがかかってテレビから流れる音をシミュレートしているためあまり気づかないんだけど、後半フィルターが除かれてから俄然輝くのは、まずその地声、というか喋り声っぷりだ。歌声を持たない人(厳密に言えば喋り声と胸声の差違がごく小さい人?)、というジャンルがあって、これは良くて紙一重、たいていアウトなのに、たまにすごい美しさを発揮する山師的な要素を多分に持った唱法だ。ヘプバーンがそうだったし(おかげでマイフェアレディは全編吹き替えだ)、ビートたけしだってそうだ。そして優香は間違いなくこの系譜に入る。変なボイストレーニングとか受けてなくてよかった。受けていても、その成果が実ってなくてよかった。

しかもえらい勢いでフラットしているのがまた素晴らしい。ガードが堅いの〜、のガのほうがたぶん酷いが、の〜、のピッチは白玉だけに異常事態だ。このたやすく正確なピッチに修正できるProTools時代、ここまでフラットしたまま放置(いや、叩いてるとは思うけど)しておくには、エンジニアさんにたいへんな勇気と、それ以上の趣味の良さが求められる。「素の優香ちゃんの元気良さを」とかレベルじゃなしえない、愛らしさを引き出すことへの執着めいたものさえ感じる。それは、女の子が声を発する、歌を歌う、っていうどこにでもあって、でも常に僕らをノックアウトできるだけのスペシャルさを孕んだ現象のいちばんコアな部分を提示していた。

まだCFは一度しか見ててないし、例によって次に聞いたときにはぜんぜん違うことを言うかもしれないけど(笑)、僕はあの声を聞いて飛び起きるくらいのインパクトを感じたし、初めて優香を愛らしく思った。いま窓を開けて春の夜の空気を吸いながら、折しも今週のヤンマガのグラビアになってる優香を見返して、ああ、あれね、の所業を大いに悔いているところだ。今年はジャリのおかげで開花から毎日桜を見させてもらっている。どこかへの道すがらにやおら出会ったり、花見でわざわざ出かけていた去年までと違い、穏やかな気持ちで花への気持ちが熟成されていく。どちらもいいに違いないけど、子供の頃はこんな風に桜を見ていたように思い出す。