焼肉を食べに、船橋くんだりまで足を延ばす。旧い友人の実家が営んでいる焼肉屋なのだが、ここばかりは他とは事情が違うのだ。僕はもともとコンビニオヤツまみれで味オンチもいいところだし、お皿について何か気の利いたことを言える教養もなければ、お気に入りのシェフをキャッチアップしていられるような財布も持っていない。しかも僕にとって(みんなも多分にそうだと思うけど)焼肉というのは、戦いの前、もしくは終わった晩に焚き火を囲んで互いの結束を確かめ合うような儀式としての色合いが強く、他の料理に較べればはるかに道楽的優先順位は低いのがほんとうのところだ。別に焼肉が単純だとか言ってるんじゃないし、肉を美味いと思ったことがないわけでもないよ。

ただ、僕はこと料理についてはアイデアが詰まっている組み木細工のようなタイプのほうが趣味で、音響派、もしくは丸太から仏像を掘り出すような素材のガチンコ勝負にはあまり足が向かないんだ。田舎者だからだと思うんだけど。寿司も江戸前が好きだし。しかもここ最近の狂牛病禍はさておき銘柄和牛ってのに割と懐疑的で、とくに価格面なんだけど、鉄板焼きとか行くと、あんなにまでありがたがってお金を払うほどの肉なのかいつも首を傾げる。正直に言えば銘柄和牛に何万も払うのはちょっと頭のいかれた所業としか思えない。同じお金で食べられる他の調理された肉のことを思うと。あ、でも都内某所に、噂では大橋巨泉が行きつけとかいう、直径10センチ、長さ20センチほどのロースのかたまりを、カツオのたたきぐらいの極レアに焼いてタレに浸しながら素手で噛みちぎって食う、というキチガイじみた会員制の焼肉屋があるらしく、それにはちょっとばかり興味があるな。いや、純粋に性的体験として。

話は戻って焼肉ツアーだ。5年前に1度っきり行ったことのあるそのお店だけは、僕の中でいままでしゃべった云々全部すっ飛ばして(シドイ(泣))特別な存在と言わざるをえない。そこで食べたメニューはもう忘れてしまった。ただひとつ覚えているのがタン刺しで、その薄く切った、当たり前だけど生のタンといったら、どういうアミノ酸の配列をしてたのか知るべくもないけど、「肉の」と限定しない旨味そのものだった。ひと噛みごとに口腔全体に拡がる、もうマジックとしか言いようのない豊穣な肉汁は、それが要するにウシのベロ食ってるんだって事実とともに、5年経ったいまでも同行した友人たちの間では語りぐさだ。にもかかわらず5年のブランクが空いてしまったのは、ひとえに僕らが怠惰で(この5年間で少なく見積もって4回はこのツアーが流れている)、船橋が遠すぎるというだけのことだ。

ター坊が高速を飛ばす後部座席で、僕は5年前の記憶を反芻しながら期待と失望についてばかり考えていた。例によって(笑)。なにか楽しそうなことが予定されているときはいつもこうだ。期待は失望の母。でも、それを覆してくれる現実に出会うたびに僕らは毎日ゴソゴソやってるとも言えるわけで、期待すべてがバニラエッセンスの恰好をしているわけじゃない。これは愛すべきスピン兄さんが昔々に書いていた幼児体験で、芳しいバニラの香りを撒き散らすあのエッセンスに恋い焦がれ、両親が家を開けたある日、こっそり台所の戸棚を開いて舐めるに至ったとき、裏切りというものが世界に偏在することを知った、というものだ。僕にもまったく同じ体験があり、しかも余談だけど、これは過剰に関する物語でもある。また話が逸れた。

川ひとつ渡るたびに川だー!とか叫んだりしつつ……ああ、また逸れてしまおう。僕が郊外に向かって橋を渡るたびに口走ることがあって、もう僕の周囲のドライバーさんたちは千回、いや万回聞きでうんざりだろうけど再び言うと、この東京を囲むいくつかの川筋には、1メートルを越えるシーバスがいて、みんながゴソゴソ通勤したりメシ食ったりセックスしたりしてるすぐわきでライズしたり捕食したり釣り上げられたりしてるんだ。いい? アマゾンとかボルネオじゃなくて、このテクノメガロポリスサイバーシチーTOKYOの、変てこなネオンとか満員の通勤電車とかが映ってる川面に、小学1年生よりデカいシーバスの背びれがゆらめいてたりするんだ。都市と、そのすぐそばに暮らす巨大魚。僕にとってその絵面を想像することは、いまだ知れないアカメの産卵風景どころか、深海2000メートルで10メートル級のダイオウイカをバカバカ呑み込んでいるマッコウクジラの捕食シーンにも匹敵するトキメキ☆イマジネーションのひとつだ。いいかげん肉に戻ろう。

花輪インターで高速を降りてから、どこをどう通ったのかはまったく説明できないけど、とにかく5年ぶりに目的地に到着。さあ、そこの息子にはほんとに5年ぶり会ったというのに、あいさつもそこそこに肉だ、肉。まずタン刺し。これは薬味の入ったタレで食べる。ああ、すごい、どうしよう。これだけ思いを募らせて訪れても、ぜんっぜん裏切られるところがない。それどころか新しい発見でいっぱいだ。なんで僕は噛んで口の中で味わっておかずにこんなにすぐに飲み込んでしまうんだろう。まったく冷静さを欠いたまま味に関する検証もできず、ただうまいうまい言ってるだけで皿の上はもう空になってしまった。ああ。

しかし間髪を入れずに次のプレートがやってくる。タン塩だ。タン刺しの3倍くらいの厚みがある。レモン汁で。弾力が・・・。白飯お願いしまーす。そして上ロース。笑いが止まらない。網目状に脂が入った霜降り肉なんて、とか言ってたの誰だー。もう、これ、もう、ハラハラハラって。ギューって。ははははは。ごめんご飯お代わりお願いしまーす。もうダメ、なんつうの、心の中のシニックやクリティークが溶けてっちゃう。気づくとなんかいい人みたいなことしゃべってる。やばい。ハラミ。ハラミーッ! 俺が悪かった! これからはもっと大事にするからだから一度、もう一度だけ振り向いておくれハラミーッ!

もう何書いてもくだらないんで止めますけど、とにかくあれらがウシの肉というジャンルの内側のものなのかまったく自信がない。そんで、まあこの歳にもなれば、赤貧ながらに自分のお金で、叙々園からディープ大久保まで、そこそこうまい焼肉をたまに食ったりできるじゃないですか。でも、ここだけは都内でいくらお金を出しても食べられる性質のものじゃないと思う。世界は、そして東京は広く僕の見聞は狭いから断言こそできないけど、でもたぶん、こんな肉出す店東京にはないと思う。船橋まで行って損したとは言わせないし、だいたいこんな手放しで薦められる何かなんてちょっと巡り会ったことがない。お店のインフォを書いておきます。次は一緒に行きましょう。本題に入ってから短かったなあ(笑)。■清香苑/千葉県船橋市習志野台2-17-5/047-463-0620/地図。