ソープで洗濯を

ちょっとひさしぶりに心躍らされるものに出会いました。名前はソープ。といっても、めくるめく泡の快楽のことじゃなくてスニーカーの名前。そしてそれは「ゼロックス」がコピー機一般を指すみたいに、あるスタイルのスニーカーの代名詞として流通しているようです。

先日壊れたキーボードを買い換えに秋葉原に寄ったときのこと。ホームから見える駅前広場、スケボーやインラインを練習してる男の子たち。いつもの風景のはずなんだけどあれ? って思った。「靴でグラインドしてるじゃんか!」

グラインドはストリートスタイルのインラインの技、みんなもどっかで見たことあると思う、手摺りとかに飛び乗ってガーッて滑るやつ。それやってる男の子の一人が、スケート履いていないのに気づいたんだ。

もちろん速攻広場まで駆け降りて、声かけて見せてもらった。
「ソープつってまだあんまり入ってきてないんですけど」
プーマのカリフォルニアみたいな丸っこいフォルム、ソールにプラスチックのグラインドプレートがビス止めしてある。
「神田にはないけどarktzとかREBOOTで買えますよ」

―― ロイヤルもできるの?
「まあ、やればなんとか」
―― (インラインと)ぜんぜん違う?
「ソールができないのと、あとコケたらやばいとか」
―― 足首やられそうだね
「うん怖い怖い」

了解了解。とりあえず心底欲しいよこれ! 内緒だけどずいぶん昔にインライン飽きて放っぽっちゃった経歴のある僕。でも懲りませんよ。近いうち買うのだ。そんで実はここまでが前フリ。


例によって帰りの電車の中、その気になって妄想が広がりまくりです。やっぱり物欲のいちばん楽しい瞬間のひとつだから、遠足前夜にリュックサック詰めてるあの気持ち。

ソープのどこが魅力的って、それは特別ななにかを装着しないで楽しめること。スケボーは乗ってないとき持ち歩かなきゃならないし、インライン履いたまま渋谷駅突っ切るなんてムチャだから履き換えなきゃならない。どちらもすごいかさばるし、身軽じゃいられないのが現実。その楽しさを身にまとって街歩きするには必要以上に根性を要求される。

でも、ソープは基本的にスニーカーだから、あたりまえのことだけど普通に歩いて行動できるし、自転車だって乗れる。そんで、手頃なパイプやカーブを見つけたら、うりゃって滑って転んで笑えると思うんだ。なにかのために準備したり、気構えたりすることなく遊べるというのは、日常を日常のままちょっと違ったものにするのにはとても有効なはず。


こないだ僕は初めて水上バスに乗ってみたんだけど、いまさらそんなもんオモロいかねと思っていたら、それはとんでもなく楽しくてびっくりしたよ。

そのとき僕は、乗船する前に歩いていた浅草の町並みがあんまりにも醜いもののように感じられて、ちょっと陰鬱な気分だった。ほら、売ってるものとかもアレだし、悪い意味で雑然としていて、町並みの古さがしみったれた小汚さに直結しちゃう感じ。どれも美しく老いていくという視点が欠落した建物ばかりに思えた。

でも、乗り込んだ水上バスから見た東京の町並みは、ただ美しくて。もちろん目に入ってくるのは、雑然としていてどうにも冴えない、陸で見たのと変わらない薄汚れた建造物ばかりなんだけど、でもそのとき、景色は間違いなくある種の光をその内側に持っていて、空はどん曇りなのにきらきら光って見えた。それこそ緑色に濁った川の水からヤンキーの落書き、首都高の高架の錆びたリベットまで、美しいな、と僕は感じた。

別にバッドテイストをにやにや笑う愉快さじゃなくても、この世界に溢れている目立って輝こうとはしないもの、美しさのためじゃなくただそこにあるものを捉え直すことができる。そして、そうやって自分のなかの憂鬱なものを素敵なものに置き換えていくことができるなら、それは強さになるはず。うんざりさせられる歌舞伎町も竹下通りも、ディスカウントストアも工業団地も、もしかしたらうきうきして歩けるかもしれない。

そして、いつもとは違ったピントの合わせ方もある、そんないまさらなことをちゃんと手づかみできるかたちで提示してくれた水上バスと同じ働きを、ソープの靴はそれを履いて街を歩く人に与えてくれるんじゃないかと思うんだ。

たとえばカメラを持って歩いたら被写体を探さずにはいられないように、ソープを履いて歩いたら、初めての場所もいつもの帰り道も、滑ることのできるエッジを探さずにはいられない。ちょうどいい手摺りでも発見したら、近寄ってぐらぐらしてないか具合を確かめて、コンビニの袋をそこらに置いて滑ってみる。そんな視点を得ることで、景色と僕らと世界との関係がもうちょっとみずみずしいものになったらいいな。

運動神経はクラゲ並みだし、ましてや練習toスキルアップなんてからっきしダメな僕のこと、たいしてうまくなれやしないだろうけど、あの陰鬱でしかたなかった浅草のさびれた町並みを、今度はソープ履いて歩いてみようと思う。自分の前を歩いてるやつがいきなりダッシュしてガー滑って知らん顔でまた歩き出すなんて、それはそれでかなり世紀末な光景だけど、それで笑えたり楽しかったりするなら僕はそれを歓迎したい。