昼、余計なことをしてすべてを台無しにしてしまった。しかし何もしないよりはマシだと思おう。たとえそれがお為ごかしの目くらましでもそう思おう。


深夜、TJNYのCD制作、大詰め。音のほうはもう終わっていて、ビジュアル周りとか、入稿前の、詰めの作業。とても新鮮で、刺激を受ける。何が新鮮って、自分が責任者じゃないということだ。僕はリーダーでもないし出資者でもないから(そんなもんはいない)、提示した意見を覆されたりする。それがあまりに新鮮すぎて驚いたりするんだけど、すごくフレッシュというか、ヘルシーというか、このバンドに参加してよかったなーって思うのだ。

僕は、第一線の人から見ればゴミみたいなもんだけど、それでも世界の片隅で赤ん坊が大学生になるくらいの年月ごにょごにょやってきたから、経験と知識がそこそこ蓄積しているし、こういうのはこうしたらいい、これで正解だ、というメソッドみたいのが自分の中からすぐ取り出せる。たとえば告知文を打つとする。肝要なのは選択と集中だ。盛り込む要素をばっさり減らしソリッドに。ヒキのある言葉を出だしに配置して、気だけ惹けたら詳細はインフォ欄に譲る、とか。定石定石。

でもバンドの打ち合わせでは「なんでこれ落としたんですか」「なんかこれ違うんじゃないですか」「短くする意味あるんですか」ってもう、槍玉(笑)。そんでもし普段の仕事でそんなこと言われようもんならさ、「何言ってんの、こういうのはこうこうでこうこうなんだからこうでこうだろ」っつって頭ごなしに論破しちゃうけど(僕はタクヤと違って父権的、絶対的、高圧的な上司だ。子供が倒すべき障壁となるため正義を振りかざす)、ここではそういう立ち位置じゃないから、意見を拝聴しちゃったりする。

そうすると最初イラーッとするんだけど、でも聞いてるとなるほどなーってことがいくつも聴こえてきたりする。要は自分のメソッドだけで押し通せば、ある程度の水準は握れるんだけど、自分の実力以上のものは出てこない。けど若いメンバーのみんなの意見に耳を傾けると、未熟かもしれないけど自分からは出てこないアイデアが得られて、ぜんぜん違う局面が立ち現れたり、もうちょっとだけ良くなったり、そういう成長の余地があるって当然のことを、はっと思い出したりするのだった。

もちろん仕事では自分の裁量と責任において、スタッフが迷わないように旗を振りジャッジメントし続けなければならないんだけど、バンドは別に失敗してもいいからね、そういうのもあるのか、と思って人の言うことを聞いて試してみたりもできる。ひょっとしたら自分にはなかった見地で自分にはできなかった成功を得られるかもしれないし、事実そういうことがボコボコ起きていたりする。そういうのがいちいち、エキサイティングで、おもしろい。ちなみにCDは超自信作に仕上がりました。