自分がどれほど下卑た、下衆な、気持ちの悪い、情に欠けた、いやな人格の持ち主かと、さすがに40年近く付き合ってればわかるものだけれど、それでもそれを目の当たりにしてしまって、驚いたり、途方に暮れたりすることがある。今朝もそうだった。

ジャリは今年で12歳、もう老犬の域だ。犬種的な平均寿命は13、4歳くらいだろうが、いま死んでも短命ではない、そんな年齢。おかげさまで元気そのものではあるけど、それでも去年からめっきり老け込んだ。何かの間違いであと5年くらいは生きるかもしれないが、でももう、何らかの覚悟を心の中に持っておかないといけない。

それはそれで、現実だから、仕方ない。ただ今朝、フードが切れかけていたので注文しようと思って、自分の考えていることに唖然とした。いつもは8ヶ月分くらいを一度に注文するのだが、半分に減らすのはどうかと頭のどこかで考えていたのだ。つまり、死んだら大量に余らすから、小刻みにしてやろうかと。自分でそれに気付いて、何と言うか、あまりに情けなくて、泣いた。

まだずいぶん遠いかもしれない愛犬の死を見越して注文のロスを減らしてやろうなんて、アウシュビッツの看守のような計算をよくもしたものだ。自分がそういう勘定を無意識にやってのける救いようのない薄汚い人間だということを、よくよく肚に収めながら生きていかなければならない。叶うことなら、なるべく隠し通さねばならない。ほとほと、汚らしさが、いやになった。