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昼、太田出版さんにお邪魔する。福田里香さん、オノナツメさんと編集Uさんのゴロ食メンバーと、たくらみごと。たのしいたのしい。
その足で吉祥寺の医者へ。引き続き財布もケータイもないのだが、会社の誰かと一緒に行動しているときはそのケータイを借りれば最悪連絡は着くので、まだアンカーロープがある感覚。でもスタッフと別れて独りになると、これはもうタマラン身軽さである。ノーガードというか金玉がすーすーするというか、そういうたぐいの開放感。
晩はコミックビームの200号記念パーティへ。パパおめでとうございます。あまりに豪華なメンツにめまいがしてくるのだが、ことさら印象的だったのは、三好銀さんに20年ぶりくらいにお目にかかったことだ。
そのとき僕は大学の1年か2年生で、アルバイト情報誌で見つけた「アンケート調査員」なるバイトに1度だけ従事したのだった。どんな仕事かというと、地図と名簿と怪しげなアンケートを渡されて、この名簿に出ている家に片っ端から押し掛けてアンケートに回答してもらってこい、という愚にもつかないものだった。当時で日給が1万数千円は出た気がする。
でも割のいい仕事かというとそんなことはなくて、2日間でワンセットだったのだが、1日目に30人以上いたアルバイト調査員は、2日目の朝には10人ほどに減っていた。アポなしで押し掛けては世帯年収や家電の所持状況などを答えさせるので(何らかのセールスの資料になったのだろう)、まあダニのような扱いを受けるわけだ。しかも何時間だか何軒だかごとに本部に定期連絡を入れるのが義務で、状況を伝えるたびになじられ、何件回答をもらうまで帰ってくるなみたいなことを電話越しに怒鳴られる。そういえば公衆電話で連絡をしていた。
もちろん僕も戸口で断られまくり、定時連絡を入れてはあんまり叱咤されるので、これは本部に戻ったらクビを言い渡されるのだろうと思っていたら、何のことはない、2番目か3番目だに多くのアンケート回答を持ち帰って褒められた。訪問したうち3割も答えてもらっていなかった気がするので、ほかの子たちは、さらに散々な目に遭っていたのだろう。僕が受け持ったエリアは西荻だった。いまでも西荻から吉祥寺にかけての中央線の北側は、道筋をそらで思い出せる。
さておき、その訪問したうちの一軒が、三好さんのお宅だった。その何年か前にスピリッツでやっていた「三好さんちの日曜日」は愛読していたものの訪問してもまだ頭に浮かばず、その名前が「あの」三好銀であることを思い出したのは、書き込んでもらったアンケート用紙を受け取った瞬間だった。その書き込まれたお名前の肉筆を見て、回路がつながったのだ。マンガを愛読していたことは告げずに去った。それを言うには、自分があまりに品性下劣な浅ましい仕事をしている最中に思えたのだ。
いまでもありありと「三好さんち」を思い出せる。風通しのよい木造のテラスハウスで、白黒斑の猫がいた。マンガに出てきた猫だろう。最初奥様、まさにマンガに出てくるまんまの女性が応対をしてくださって、僕があんまりしつこくお願いをするものだから当然ながら困らせ、音を上げた奥様に呼ばれた三好さんが2階から降りてきて、くだらないアンケートにまた至極丁寧に、書き込んでくださった。
といったようなことを、厚かましくも20年後にご本人にお詫び交じりに申し上げたのである。そうしたらこれがまた驚いたことに、僕が訪問したことを覚えていらっしゃった。20年前の夏の日の夕方、セールスまがいのくだらないアンケートを持ってきた学生バイトのことを、だよ。ていねいに生きていらっしゃるのだな、と、そんなようなことを思って、感じ入った。
僕はといえばこの出来事自体ずっと忘れていて、昨年、三好さんの単行本が立て続けにリリースされるというので記事を出したことで、たまたま思い出したのだった。つまりはこの仕事に就いていなければ思い出しもしなかったし、もちろんお目にかかることもなかったわけだ。これが一期一会というやつかしらん、と月並みなことを思いながら歌舞伎町を後にした。