古今に入荷した秋の鉄観音を飲みに、割と早い時間から行く。家賃収入で暮らしている有閑なM氏がいて挨拶をすると、けっきょく他にお客さんも来ないまま2時間ほどでM氏は帰り、あとぼ僕は簡さんとサシで、たっぷり4時間も長居してしまう。ゆったりもいいとこだ。ひさしぶりに突っ込んだ話もできた。ともあれ秋の鉄観音は、正直なところ芳しくない。夏が暑すぎたためだろうか。総体として味が強くしつこく、香りに乏しい。鉄観音に限った話ではないけれど、そしてこんな話ひと晩で書ける量で収まりきるわけもないから恐ろしくざっくりいくけど、良いお茶ほど淡い世界にいるもので、味は繊細でこそ清香が楽しめるわけで、それで言うと全体にレベルが低く、端的に言えば例年なら2ランクくらい安いお茶を飲んでいるような感じである。

どうにも買う気が起きず唸っていると、簡さんが、ここのところ毎晩やらされているという飲み比べのために蓋椀を大量に持ってきて、じゃあ腰を据えていきましょう、ということになる。今回持って帰ってきた価格帯と生産者の異なる4種類の鉄観音を並べて、安い方から飲んでいく(1500円/50g、3000円/50g、個人蔵1、個人蔵2・笑)。下ふたつは、値段が倍も違うのにそれほどの開きは感じられず、どちらも気に入らない。僕は煙草を吸うしジャンクフードも食べるので、舌の解像度はこの店の客では良い方ではない。しかし、上ふたつと下ふたつとの差は歴然だ。ようやく「ああ鉄観音だね」という話になる。上ふたつの差は、趣味的なものと思われたので、結局先述したところの個人蔵1、を譲ってもらうことにする。しかしそれも、良い年ならそれこそ1500円のお茶で楽しめるはずの領域であって、要するに今年は出来が悪い。

一方で、鉄観音より一般にランクの低いお茶として扱われている毛蟹のほうは、これは驚くべき良い出来で、サンプルの粗茶と個人蔵のと2種類飲んだが、どちらもフローラル性の香りが華やかに立ち上がっていて俄然やる気にさせてくれる。もちろん深みとか奥行きとかという地平で良い年の鉄観音と比べては可哀想だが、今年はこのお茶が1200円/50gで飲めることを喜ぶべき年、となりそうだ。鉄観音と毛蟹の位置関係は、高級オーディオとミニコンポの差に似ている。ハイフィディリティを追求する高級オーディオが地味な差異の世界で幽玄ライクに語られるのに対し、ミニコンポは一聴してわかる派手な音づくりがなされていて一方で軽薄だ。しかし今年の高級オーディオはマッチングが悪くて本来の音が出ておらず、今年のミニコンポにはその安さに見合わない爽やかささえ伴った華やぎがあって、作られた思想の格差を差し引いてもどう考えてもミニコンポを勧めざるをえないのだ。というわけでお茶会では毛蟹を出そうと決めた。単叢はとっときの黄枝香、岩茶は肉桂を出す。