おとついになってとつぜん、天から岡村ちゃんZepp東京のチケットが降ってきて(そのいきさつも面白いのだがナイショ)、行って参りました、復活ツアー最終日。まだ混乱していて何から書いていいかわからないので結論から書くと、もう最高、としか言いようがない。ウェルカンバック! 僕のアイドル。全身全霊を捧げます。太ったとか動けないとか声出ないとか契約切れとか、自宅の鏡に昔のポスター貼り付けて封印とか那覇空港麻原彰晃と間違えられて激怒とか、そゆ噂ごとぜーんぶ吹っ飛ばされたよ。えーと、休み休みだったけどダブルアンコールでみっちり2時間余、ベスト盤みたいな盛り沢山っぷりだったよ。でもちゃんとしたルポは俺が書かなくてもどっかに上がるだろうからそっちに任せるわ。俺は、そうだな、信仰を告白しようと思う。

たとえば今回、ステージにはダンサーが2人いる。ハレンチのPVみたいな感じだ。2人はいかにもBボーイな服装で、ちゃんとしたダンスの教育を受けている。彼らのニートなブレイキングに比べると、岡村ちゃんのダンスはあまりにもフリーキーで、へんてこだ。でも切実さが全然違う。「お前らのその踊りはどこのスクールで習ったんだい?」ってな具合でいなしちゃうんだよね。岡村ちゃんは輸入文化が誤解を伴った最後の時代の人だから、淡谷先生の歌うブルースがぜんぜんブルースじゃないように、岡村ちゃんのブレイキングもヴォーギングも誤読だらけの独特なものだ。でも、映画かテレビかで見かけて「ウオー何だこのダンスかっこいいー!」って盛り上がって、なんかその記憶だけで自分なりに身体を動かして編み出しただろうその動きには、本物直系で習ったダンスには決してなしえないパッションが横溢していて、そう淡谷先生のブルースが心に響くように、そのヴォーギング(とも名付けられない奇矯かつエレガントなモーション)は心を打つ。強く打つ。

「俺のモーション変かな」「笑われたりしないかな」なんて決して彼は言わない(言わないからその代わりに太ってしまったわけだが)。それがコレクトなものであるか、マナーに反していないか、恥ずかしくないか。「大事なことはそんなんじゃなーい!」と岡村ちゃんは歌うよ。じゃあ大事なことは?「青春って1、2、3、ジャーンプ! 暴れまくってる情熱」。確かに岡村ちゃんはデカかった。大台は噂にせよ90kgはあるかもしれない。でもサモ・ハン・キンポーは太ろうがカンフーの名手であり続けたように、彼のダンスの魅力はなにひとつ失われちゃいなかった。個人的に圧倒されたのは「Super Girl」の間奏のとき、何というのかな、コサックダンスと隠し芸のエレベーター上ってくるやつを合わせたような動きをしたんだけど、それがもう地の底から沸き立つようなブオオオオって迫力で、全身に鳥肌を催した。あの、簡単なテーブルマジックで、机の上にハンケチを広げると、何もないはずなのにハンケチの下で動物かなんかがうごめいてビックリ、ってのあるじゃない。あれの巨大版みたいな沸き上がり方だったんだ。凄かった。

そしてギター。岡村ちゃんサウンドスタンプの代表格として、ミュート・トランペットとアコギカッティングが挙げられると思うけど、彼のギターはほんとに直情的で、つうか単純にピック深く噛ませすぎで、でもそんなことお構いなしに掻き鳴らす、ほんとに掻き鳴らす姿はそれだけで胸にこみ上げるものがあった。アップストロークを多用する奇形的な奏法は、ぜんぜん関連はないけど小沢健二のギターにも似た鈍りがある(オザケンは逆で左手が奇形的)。歌については、到底書きようもないけど、俺はぜんぜん衰えなんて感じなかったことだけはいくらでも強調しておく。そして、これは意外、に近かったのだが、サウンドがね、良かったのよ。ZeppPAも良かったんだけどそれ以上に、ステージ上に卓を置いて、SEやエフェクツだけじゃなくミキシングをバンドメンバーとして導入していたのが大きいだろう(多分)。だからハウシーなリアレンジが多かったんだけど生バンドにしては統合が良く取れていて、オリジナルの質感を伴いつつ凄いダンサブルだった。これは劇的な進化、と書いても過言じゃないと思う。

でもまあそんなことより何より、やっぱり岡村ちゃん岡村ちゃんだった、ってことになっちゃうのかな。自分の信じることを信じること。相対性の罠に取り込まれないこと。「不景気だけどデートしようぜ」と言えたこと。「愛し合うのはそりゃ大事だけど、独りにならないと考えられない大事なこともあるぜ」とも言えたこと。新曲はなかったけど、消化不良の感のあったセックスとCome Babyを完全に自家薬籠中のものとしていたこと。感激は一瞬一瞬に溢れていた。髪をかき上げる仕草、おどけた八の字眉、唇を触る二本指。これは愛だと思う。そして彼が教えてくれたのは、結局こういうことだ。愛は、絶対性の中にしか芽生えない。好きな女の子がいたとしたら、その子が、たとえば見かけがどうだとか服の音楽の趣味がいいとか悪いとかどんな学校を出ているとか職種が収入がどうだとか他人が褒めようが貶そうが、そんなことに耳を貸しちゃいけない。だから愛は信仰と近接するけど、愛に飛び込むのを恐れちゃいけない。たとえみんなが笑おうが、気にするな。恋人だけじゃなくて、それは自分の好きな音楽だってそうだし、服だって、親だって、自分だって、そうやって愛すんだよ。岡村ちゃんは全身でそう教えてくれたから。だから我々はそうやって岡村ちゃんを愛す。

帰ってきたら家に451と明日から屋久島に行くヤマグチがいて(いて、っていうか留守番頼んだんだった)、近くで飲んでいたことねちゃんとご同僚が遊びに来て、みんなでマンラブ見たんだけど、マンラブ面白かったけど、でもいまは岡村ちゃんのこと書くので精一杯だったので明日にでも。