名盤ドキュメント「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を見た。松任谷由実の回が面白かったので期待していたところもあったのだが、正直に言うとあんま興奮しなかった。まず思ったのは、これ流すくらいだったらソリトンside-BのYMO特集を再放送したほうが、だいぶ面白かったし2019年にやる意義もあったのではないかな、ということだ。

象徴的だったのが卓球のコメントで、語ってるエピソードも語り口も20年前のside-Bのときのコメントと(ワザとかな、と思わせるほど)同じで、つまりこの20年の停滞を強く感じさせられてしまった。ほかのコメンテーターも、20年前とは顔ぶれが一新されているのにびっくりするくらい言説に新鮮さがなくて、失われた20年とかってこういう意味だったのかーとすら思った。

そりゃ同じ音楽の話をしてるんだから同じ言説の反復になって当然だ、という意見もあろうけど、なんかそういうレベルの話じゃないんだよね。YMOの、というか細野さんのありがたがり方が完全に固定化、陳腐化、形骸化してしまっているのがいまさらながらに再確認されてしまった。

そのなかでひとり気を吐いていたというか、よっさすが、と思わせてくれたのが中沢先生で(わたしは中沢新一の追っかけ学生たったので、どうしても先生と呼ぶ以外の呼称を持てない)、思わせぶりで喚起力の高い言葉ばかりを、いいテンポで紡ぎ出しては聞く側の想像力をいたずらにくすぐる、あのぺてんとケレンに満ちた魅力的な語り口が息を吹き返していたのでなんだか安心した。一時より元気になっていたように見えた。

それで細野晴臣YMOプロジェクトに見た夢について、「コンピューターを換骨奪胎して西欧文明のスタンダードに別の土台を据え付ける」みたいなことを語っていて、その言説自体は既視感の拭えないものではあるけれど、しかしながらコンピューターと西欧文明という単語の連想でハッとさせられたのだった。ああ、中沢先生って、いまでいうと落合陽一みたいな存在だったのだなー。

ここで言う「みたいな」っていうのは、思想が似てるとかそういうことじゃなくて、トリックスター的な見え方をまとって世に出てきて、アカデミズムの本流や旧世代からは浮ついている、内実がない、信用ならないと見られて、なんなら詐欺師扱いされて、だけどあるセグメントの若者には教祖的といっていいほど熱を持って受容されているし求められている、という、そういう立ち位置の。

やっぱり2019年のエルダー層たる私には、落合陽一はとてもじゃないけど幼稚でおままごとにしか見えてないんだけど、1987年の大人には中沢新一がそう見えていたんだろうなー、と思い至ったのだった。ただそこでふと気づいたのは、中沢先生のバックグラウンドはド左翼だけど落合陽一は政権与党べったりで、そこの違いに時代性が大きく宿っているのかも、と思ったりもした。

話がだいぶドリフトしちゃったけど、そういうわけなので、もしここを読まれている若い方で先日の名盤ドキュメント「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」がすげー楽しかった! って人がいましたら、ぜひ、もうほんと盛り上がれますんで、ソリトンside-BのYMO特集を違法アップロードかなんかで検索して見てください。おれのノスタルジーを差し引いても1000パーセント保証しますんで。

さて筋肉痛がすごい。おとついまで寝たきり老人みたいな暮らしをしていたのだから仕方がないけど、それにしてもしんどい。ただここで休むと正式な三日坊主になってしまうので、血流で筋肉痛を散らす目的でちょっとだけ走った。20分、2.9km。