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新居、というほどもう新居でもないのだが、家の近くで新しいオープンマイクのイベントがあるというので行ってみたら、以前スウィートブルックリンという別の箱でやってたボーカリストがホストだった。ハコバンのメンバーがほぼ全員変わってしまっている。いろいろ難しいのだろうなーと想像する。
というわけで知ってる人の知ってるレパートリーだったので早々に切り上げて、バードランドでやってるマリアシュナイダーのセカンドステージに間に合いそうなので向かうことにする。今年は新譜2枚のレコーディングが予定されているそうで、そこからの新曲に旧譜のいい曲が挟まるセットリスト。
新譜の片方は、GAFAによるビッグデータ支配とコントロールされたネットワークへの不安、アゲインストを曲想にしたものだという。もう片方は京都の三千院に滞在したときの豊穣な体験、禅のマインドと未知の仏具からインスピレーションを得たという。どうだろう不安にならないだろうか。私は少し、なった。
しかして新譜からの曲々は不安もそこそこにすーげービジュアル喚起力を伴った音楽がビルディングされていて、それでもやっぱり初期からのファンの人から見たら3枚目のブラジル趣味みたいに迷走に映るのかもしれない。輪郭が淡い時間が多いし、ビッグバンド的ではないし、技術的にチャレンジングなわけでもないから(演りゃ難しいのは当然として)。
新曲に共通するのは、もしキューブリックがいま2001年を撮るならマリアシュナイダーに書かせるしかない、みたいなスペイシーな感覚があった。ビッグデータ→スペイシーって連結を安易と言う意地悪な人も出るかもしれないけど、それを容易に黙らせる程度には圧倒的なビルディングがあった。ああ、どんな音像が鳴らされててもビルディングがジャズなんだだよなー。そこに作家性がある。
個人的には鞠のバウンドや鳥の声みたいなオーガニックな要素の取り込みが、より直接的に鳴らされているのが面白かった。隠喩が直喩になったような。友達が取っておいてくれた席がほとんどバンドメンバーみたいな位置で、つまりマリアのコンダクトを正面側から見ながら、そんなことを考えていた。なんかきっかけひとつで音楽の前線からいなくなってしまいそうな才能だな、とも思った。
終演後、ちょっとお世話になったスティーブウィルソンがおれのこと覚えていてくれて安心した。やっぱり来てたのね挟間ちゃん明けましておめでとう。彼女はファースト1曲めの「Wyrgly」が聞けたことに狂喜乱舞していて、しかしそのギターソロ、おれらは弦の生音聞こえる位置で聞いちゃったよー、と思った。ベンモンダー、幕間にずっとスイープの練習してて泣けたな。