体力が落ちているので一日臥せっていた。そろそろ無理やりにでも何かアクティビティを始めないと死の予感が強くなりすぎる気がする。アメリカ人、ジムやヨガでごりごり発散してるイメージあるけど、あれはああでもしないと肥満糖尿一直線の社会環境がさせてるのであって、住宅街で見かけるクリスマスのド派手電飾みたいなものだ。ああでもしないとぶっ壊れてしまう必然性にかられてやっているのである。

ここ数日めっきり、夢見悪すぎシーズンに突入していて、ひょっとしたらブログを再開したことと関係があるのかなーと思ったりする。自分について言及しない日々が続くと、当然だけど自己言及的な回路が細まっていって、内省も減るし過去記憶への遡行も減って、それはそれで無意識過剰というかいい調子なのだけれども、細くなったのが血管だとして、その壁にコレステロールか何かがへばりついて塞栓を起こしかねない状況にあるような気分にもなる。

自己言及はそこに無理やり血流を押し流すような働きがあって、それで剥がれて脳に飛んだ血栓が悪夢になって現れているイメージを抱いているのだけれど、おとついは何十センチもあるケツ毛を息子にドレッドに編まれている夢だった。目覚めたら息子がおれのケツの割れ目を踏みつけていたので根拠がわかって少し安心したけど、我ながら酷いなー。

晩、ブルックリンスティールまでNoname のライブを観に行く。音のハイファイさと舞台照明のよさがまず飛び込んできた。機材とスタッフ帯同でやれると、あのクオリティ出せるんだよなー。照明も、なんて機材なのかわからないけど最小限ながら曲に合わせて効果的に組まれていた。

サウンドは生バンド+サンプラーなんだけど、かなり音源再現に振ったディレクションだと思った。まず尺がほぼ音源どおりで、グルーヴしたからといってアウトロをエクステンドしたりしない。 個人的趣味から言えばちょっともったいなく思うけど、そのあっさり感がミックステープ世代なのかもしれない。

ご本人ははにかみ屋でちょっと内向的なムードも見せつつ、友達に話しかけるみたいな気取りのないステージング。そしてアラいいわねって思ってるうちにあっさり終わっちゃった。曲数が少ないわけでもないので、曲の尺が短いゆえの印象だけど、曲に展開作るくらいなら別の曲にしちゃう感じもいまっぽいのかな。

ただアンコールで出てきて、ごめんね用意してる曲がないの、と言いながらやおら伴奏なしでフリースタイルをドロップして、それがめちゃくちゃハイレベルなライムとフロウだったので、アメリカ!と思った。けっきょくどれだけ親近感ある芸風をプレゼンテーションしたとしても底にはマッチョイズムが強く流れていて、マッチョ性をクリアしないと上にあがってこれない。だからおのずと爪を隠すスタイルになるんだけど、爪を少しだけギラッと見せておくのが信頼を勝ち得るためのマナーなのかもしれない。

音源再現度が高かったので音源聞いてもらえばだいたいわかるんだけど、Noname のトラックはどれもリズムに少しだけ月並みじゃなさというか工夫があって、楽器をやる人間が何にも考えずに気持ちよくプレイすると絶対出てこない、少しフリーキーだったりトリッキーなパターンが頻出する。それがバンドの演奏でも再現されて、音像に新鮮さを吹き込んでいた。

客は黒人3割にアジア系1割、あと白人って感じで、おしゃれさん含有率が高かった。みんなヴァースまでしっかりリリック入ってて、ほんとヒップホップはスポークンワードのアートフォームだなーって再度思った。日本にいるときは重要度でいうとトラック3割くらいに思っていたけど、いまはトラック1割以下だと思っている。これ誇張や冗談じゃないです。

スタッフの人に新譜のヴァイナルいつ出るの?って聞いたら、あなたのサポート次第よ、新譜のヴァイナルが欲しければまずファーストのヴァイナル買ってちょうだい、できたらLP用のトートバッグも! って言われて、実は持ってるのにもう1枚買ってしまった。事実関係知らないけどチャンスとマネジメント一緒なのかな、考え方が似てる。