■
線維肉腫という種類は、軟部組織のガンのなかでも比較的悪性度が高く、抗がん剤は効きづらい。早期なら手術が有効だが、その場合腫瘍から2、3cmの余裕をもって切除することが望ましい。ジャリの場合それは、下アゴをまるごと切除するということだ。そこまでしても再発率は高く、つまりダメージの割に得られる効果が乏しいので、いわゆるQOLの見地から判断を下すことになる。放射線は腫瘍を小さくし余命を伸ばすことには寄与するが、同時に強い副作用が生じるので、やはり難しい判断を迫られることになる。
このあとどうなるかというと、ひとつには腫瘍が大きくなって口が開かなくなり、自分で食事をとることができなくなって、衰弱する。もしくはガン細胞から血中に放出されるさまざまな毒性の物質によって衰弱し、死に至る。もしくは肺に転移して、呼吸不全で死ぬ。そうは書いてあるのだが、めしはガツガツ食ってるしマンションの廊下を駆け抜けたりしてるので、やっぱり現実みがない。さすがに染色された組織の顕微鏡写真を眺めていると、理性では認めざるをえないものの、心のどこかでまだ歯槽膿漏なんじゃないかと疑ってすらいる。
いずれにせよセカンドオピニオンがほしいところなので、心臓エコーの検査をしてくれた心臓外科医に連絡したところ、ガン専門医の予約は最短で21日になるという。ずいぶん先だが、まあ仕方ない。お願いしてしばらくしたら、折り返しがきて、11日にガンに明るい外科医の予約が取れるので、まず外科医に相談して手術の可能性を探ったらどうか、との進言。従うことにする。口を開くと痛むようで食事のスピードが遅くなってきた。鎮痛剤を投与する。
深夜になって日本が昼になったのを待って、かかりつけだった駒場のキャフェリエ先生にも電話してみる。先生の所見も検索して得られた知識のとおりだったのだが、ひとつ新しい見地として教えてもらえたのは、もし手術が体力的に可能なら、軟部組織だけでも切除することで口を開けるのが楽になり、自分で食事を取れる期間を延ばすことはできるかもしれない、ということ。ジャリは食べることがとにかく最大のよろこびなので、もしそんなことが可能ならいくらかQOLの向上にはなるのではないかとは思えた。
そんなことを考えながら金土とすっかり抑鬱状態で過ごし、奥さんと話していても自分が何をしゃべってるのかよくわからない程度には取り乱していた。亡くなった母が認知症になったとき、電話帳の親戚知人に片っ端から電話をかけるという迷惑行為を繰り返してたいへん難儀したのだが、気づいたら自分がLINEやメッセンジャーに登録してある犬猫の飼い主に音声通話をかけまくっていて、ああこれが血というやつか、と思ったりもした。ご迷惑をおかけしました。
ようやく11日に外科医の診察。所見は近所の先生と同じく、積極的な治療は望めないので、緩和ケアしかできることはないだろう、とのこと。もし希望するならCTスキャンをして、腫瘍の広がりを詳細に確かめたのち、何らかの処置の可能性を探ることはできるというので、これはほとんど飼い主のエゴなのだが、翌日にCTスキャンの予約を入れた。スキャンの結果はすぐ上がってきて、ガンはやはり骨部とリンパ節に転移しており、また腫瘍が顎関節の軟骨に広がっているので口を開くために切除する手術も不可能、とのことだった。自分としてもX線の図像で見せられて、ようやく現実を受け止めることができたように思う。
14日、鎮痛剤の追加をもらいに近所の獣医へ。体重を計ると、ここ数日のごちそう続きで600gも増えていて笑えた。いまの鎮痛剤が効かなくなったときはさらに強いものに切り替えることになるが、そうなると意識も朦朧としてしまう、とのこと。食事を取ることができなくなって衰弱したり、のたうちまわるほどの痛みに襲われた場合、アメリカでは安楽死を選ぶ飼い主も多いので、それも心の中に留め置いておいてほしい、とも。院長先生はジャリの毛並みと筋肉量をほめ、あなたが飼い主でよかったと思いますよ、と言ってくれた。苦い作り笑いくらいしか出てこなかった。