■
あけOめです。すっかり日記ではなくなって留学前のペースに戻った感じですが、少し熱を出したほかは調子よく暮らしています。クリスマスの翌日からじつに2週間にわたって最高気温が氷点下の日が続いたのですが、きのうようやく気温が0度を越えていきなり4度まで上がり、コートの前を閉じずに闊歩する楽しさに耽溺しました。4度あったかい!みたいな境地に。
日々何をしているかというと、だいたい仕事場にいるのですが、正直なんもしてません。とにかく言いたいのは、人間にとってスタジオという空間はほんとうに危険だということです。家族にノックされることもなく気兼ねなく音を出せる空間を持ったのはたぶん生まれて初めてなのですが、とにかく1日があっという間に過ぎていきます。たとえば11時くらいにのこのこ家を出たとして、コーヒーでも買いながらスタジオに着いて、気が付くと夕暮れどころかもう日付が変わっていたりするわけです。
何でこんなに時間が経ってんのか、正直自分でもわからない。高橋アフィくんがtwitterに貼ってる音源をチェックしてるだけでも数時間すぐ過ぎてしまうし、レコード棚の旧譜をちょっとひと摑みしたらすぐに数時間だし、たまには練習すっかと思ってスケールさらったりトランスクライブでも着手したら1日経ってるし、もっとひどい日だと、シンセの音をこうビヨ〜〜って鳴らしてビヨ〜ヨー、おっ音変わった、なんてツマミいじってるだけで1日が終わってしまったりしているわけです。
これはやばい。浦島太郎どころではない。つぎ気がついたらもう棺桶のなかに沈められていても不思議ではない。焦らないとならないのではないだろうか。楽しいからいいではないかという話もなきにしもあらずなんだけど、楽しいだけでいいのかという話だってなきにしもあらずです。あともうひとつやばいのが、スタジオという空間とハイファイな良いスピーカーを手に入れたことによって、音楽やサウンドの好みがすっかりまた変わってしまって、好みってなんなんだろう、自分なんているのだろうか、というやばさもある。
具体的に言うと、音をレイヤードして厚みを付けたものが聞けなくなりつつある。もう音さー、いっこか2個か、せいぜい3個鳴ってれば、いいよ。じゅうぶん。実際のところ学校にいたときに作っていた習作とかはDAWで30トラックとか普通に使っていたんだけど、この部屋にこもるようになってから作った曲(ライブにかけた曲とか)、6トラックとか、多くても10トラいかないくらい。以前は厚みつけにパッド鳴らしたり、SE貼ったりしたこともあったのだけれど、そういう余計なの、もうほんと邪魔。要らない。
そのかわり一個いっこの音は魅力的であってほしいという気持ちはより強くなっている。とにかく好みがミニマルになってきていて、これ共感を抱いてもらえる人少ない方面だよなー。すっかりポピュラリティとかと縁遠いけど仕方ないよなー、という気持ちになっている。なんなら楽器いっこでライブやってもいいんじゃないだろうか。モジュラーかなんか使って。誰も聴きに来なくても、それはそれでいい気がしてしまう。楽しそうだな、ビヨ〜〜ギョ〜〜〜って。
あとこんなこもりっきりの暮らししてるんだったら、そもそもなんで高い家賃払ってNYにいるんだろうという問題が浮上しています。これ別に保谷か狛江あたりにいてもなんも変わんないんじゃないだろうか。ただふらっと晩に出かけてものすごいレベルの高い演奏に出会ったりすると、うーむやっぱり、みたいな気持ちにもなるのですが。そんなところです。