例の精神汚染の件は、おおまか抜けて復調しました。妻子の愛と、あと飛ばし読みじゃなく最初から最後まで読み尽くすことによってw。やっぱりハンパに触れたのがいちばんよくなかったように思う。あと治療には、ある極ともう一方の極の両方を併用するとブーストが掛けられる気がしている。たとえば風邪ならルルアタックFXと熱めの風呂、みたいな。鬱ならカウンセリングと筋トレ、みたいな。さておきなんかめちゃくちゃな日だった。まずリハモテックは先生ドタキャン。今セメ2度目。ロチンたん好感度アップしかけてたのに下落。

そしてネデルカのアンサンブルは、これは1ヶ月前から予告どおり先生お休みで、代わりに生徒だけで練習するはずだったのに、何人かが急に「ちょっと行けない」とか言い出してバラシに。もうほんとこの「非アジア人の」「10代の」「5人以上と」スケジュールを組んでいくのが、ほんといつもグダグダかつカツカツになるのでたいへんにストレスだ。調整さん導入しろよ!と思うのだが、語学力でどうしても引け目があるので、せいぜい自分の都合を主張する程度になってしまう。

そのあとミッチのアドバンストハーモニー。メセニーでも難曲ばかりのアナライズなんだけど、この辺のになると2小節ごとにトーナルセンター移動してローマ数字書いても書かなくても一緒、みたいな状態になる。それでもセンターがしっかりホールトーンで移動していたりして、6トニックシステムだーみたいな見どころはある。それよりミッチの譜面を見る目がいつも興味深い。ムルホランドもリックもそっくりだから、たぶんちゃんと作曲を突き詰めて勉強した人はみんなそうなのかな。

こんなのピアノを習ったり音大通ったりしてきた人には当然すぎることなのかもしれないけど、おれのように学が乏しく譜面とあんま仲良くない人間は、渡された譜面を散文的に、リニアに「読んで」しまう。メロディと和声進行を線形的に追い、おれごときでも楽譜を読めば脳内に音は流れるので、読み終わって曲が把握できた気持ちになる。でも先生たちはまず、そのページをバッて絵みたいに見るんだよね。見て、骨組みを捉えてしまう。これは囲碁で局面を見るときビジュアル優先で模様として把握するのと似ていると思っている。

そのページをバッて図像的、フォルム的、絵画的に「見る」から、まず「このへん音符が混み入ってて黒いね、このへん白い」とか言う。それから「ここの形とこことここ似てるね」「こことここは左右対称」「ここにいちばん高い音がある」「うーんC#の音が多いね」「このへん臨時記号が集中してる」みたいなことを一瞬で言う。コードについてもひとつひとつのルートとクオリティを見るんじゃなくて、「(インターバルが)長3度、長3度、長3度でConstant Cycle」「4回目はインターバル4度で着地してるね」みたいなことをまず言う。

別にあの現代音楽の図形譜面みたいな話じゃなくて、譜面に達者な人にはふつうの五線譜形式の譜面でもじゅうぶんにビジュアルイメージとして見えていて、それでその曲の要点が読む前から瞬間的につかめているのだなー、と気づかされるわけだ。そのあとで、あれ線形的に読み直してるのだろうか、生徒の習作くらいなら初見でピアノで弾ききってしまう。よく見えてる視界が違うとはいうけれど、気づいてみりゃなるほどなんだけど、実体験として積み重なってきて、なるほどなーと思うのであった。

実はミッチの前に、私の数少ないベースヒーローであり人生スパンでフェイバリットベースプレイヤーのフランシス・ロッコ・プレスティアに会う、というすごいイベントがあったのだけれど、長くなったので明日に回します。