日にち変わって深夜0時のブルックリン、看板もない扉を開けてさらに廊下を入っていくと、週末はクラブなんだろうけどイベントが入ってなくて緩いバー営業しているお店のソファに、黒田卓也さんがいた。うわー、いちおう現時点の日本人ヒーロー個人的トップのお方ですわ。つないでくれた柳樂パワーにビガップという気持ちです。

そして黒田さん、いっけん豪放磊落なええ感じのアンちゃんなんだけど、すごいクレバーだった。理知的だし言うてることの筋がいちいち通ってる。さっきまでのBIGYUKI旋風で、さかしい人間はこの国で生きていけないのかもくらいに思い詰めていたので、めちゃくちゃホッとした。この先のいろいろな活動予定を聞いて胸が高鳴ると同時に、なんとかしてこの人たちの次元にまでリーチしたいとマジで思いました。

そうこうしてる間にハザマちゃん呼ぼうと黒田さんが言い出して、しばしのち挾間美帆さんご登場。昼からの流れ、すげえ豪華すぎてわけわかんなくなりつつある。あとヤスシナカムラとケータオガワに会ったら、いまNYの第一線で活動してる若手ジャズミュージシャンのスタンプカードが埋まってしまう感じである。まったく一切書けないお楽しみトークをえんえん繰り広げ(私はほぼ聞いてるだけ)、4時半にようやくお開きとなった。

タクシーでマンハッタンに戻り、私はロウワーイーストサイドのホテルへ。もう思い出したくもないから書かないけど、何もかんも、これまでで最低のホテルだった。まじくそ。あれでよくも190も取りやがったな。冒険してこんな不愉快な思いするなら、ヒルトンでも何でも、狭くてつまらないかわりに失敗のないとこにしておけばよかった。怒りながら寝る。すぐ目覚まし。パーソンズに留学中の岡田育と、登校前の時間帯に起きれたら会おうと言っていたのだった。

バワリーあたりを歩きながら、なんだかんだクソお洒落だなとしみじみ思う。ブッチャーズドーターというベジタリアンカフェで岡田と落ち合い、朝食。チャイナタウンまで歩いて、ともに指圧を受ける。そのまま登校に付き合い、14thのパーソンズまで。ここに至ってようやく知ったのだが、パーソンズってあのニュースクール大学のデザイン部門なのであった。クラシック部門がマネス音楽大学で、ジャズ部門がいわゆる俺らがニュースクールって言ってるやつ。マジか、そうだったんだ。

めちゃくちゃ金かかってそうな校舎をチラッとのぞかせてもらって、俺はもう飛行機の時間。奥さんに買ってくおみやげにちょうどいいカカオ屋さんを教えてもらってバイバイ。言われたストリートも方角も違ってたけど(方向音痴?)、言ってたとおり可愛らしいカカオ屋さんで生のトリュフなど選んで詰めてもらって、時計を見たら、やばい、フライトの時間に間に合わないかも。

ニューアークまで公共交通だと確実にフライトに遅れるので、Uber飛ばして向かうのだけれど、考えてみればボストン便は何本も飛んでるので、危ない橋を渡るより安心して行動しようと思って、高速乗ってる間に電話してもう一本あとの便に変更してもらった。そんで余裕しゃくしゃくで空港に着いたら、なんと天候不順でフライト遅延、もともと乗るはずだった便が、まだ搭乗すら始まってなかった。慌ててもとの便に振り戻してもらって、2時間遅れでさよならニューヨーク。

あとは寝落ちして朦朧としてる間に家に着いてた。たった2ヶ月半しか住んでない家なのに、駅に着いたらホッとしたし家についたら我が家最高!ってなった。即オフトゥン。