宣言どおり金曜日の晩から寝込んで、いま月曜の晩です。連休となると倒れる、この社畜根性の抜けなさ。なんて言うと、前職の同僚からテメーしょっちゅう寝込んでただろってツッコミが入りそうですが、とにかく寝倒しました。悪寒のバロメーターである寝汗もだいぶ引きました。明日は通常営業でいけるんじゃないかな。なにより恐ろしいのは、この連休向けに出された宿題にいっさい手をつけてねえ!夜明けとともに起きてやらないといけません。

昔のことでも書こうかな。95年にウイグルを2ヶ月旅行したのち、15年以上の間、海外旅行どころか国内旅行さえまったく興味なく過ごしてきたものの、2012年の11月に、なんとなくの成り行きとしか言えない選択でアメリカを2週間ほど旅行しまして、あれですっかりニューヨークにかぶれてしまったわけです。そのあと半年に1度ペースで通い続け、いまこうしてボストンにいるのも、そのアメリカかぶれの延長線上にあるといえなくもない。

ニューヨークのどこにかぶれたかというと、これは殴られた瞬間をはっきり覚えていて、最初に乗った地下鉄のドア脇に貼られていたポスター、それが目に飛び込んできてガツンとやられたのだった。調べたらSophie Blackallという人のMISSED CONNECTIONSというポスターなんだけど、それ見た瞬間におれ地下鉄でドボドボ泣いててw、そんで、公共のポスターにこんな絵が選ばれるなんて、なんて素敵なことだろう、と思って、まあグッときたわけです。

その横長の絵にはとにかく多様な人たちが描かれているのだけれど、いちゃついてるカップル、スケボー持ったガキども、釣った魚をバケツに入れたおっさん、着ぐるみで移動中の人、コントラバスを運んでる女性、泣いてる赤ん坊、隣の人にもたれて寝ちゃったおばさん、大量のスーパー袋を持ち込んでくる中国人、メイク中、ユダヤ人、ゲイカップル、ヒジャブ女子、犬を懐に入れた黒人、タトゥだらけのパンクス、ヘッドホンしたゲーマー、大道芸人、おのぼりさん家族、ある意味全員めいわくというか、鼻つまみ者みたいな人たちばっかなのだった。

この人たちが山手線に乗ってたらと想像してほしいのだが、たぶん周囲の乗客は苦虫を噛み潰したような顔をしているだろうし、混んでるのに半径1メートルくらい空いちゃったりして、そして車内空間には呪詛が蓄積しまくっていることだろう。そんな人たちがこうして貼り出されてるってことは、描いた人はこの人たちを肯定してるし、この人たちが地下鉄の乗客であることも肯定されていて、迷惑かもしれんが、みんな大なり小なり迷惑なんだしそれぞれ事情があるんだからお互い許容していきましょうよ、というメッセージを受け取ったのだった。

なにしろ私がどうにもね、めいわくに手足が生えたような人間ですんで、半生を鼻つまみものとして過ごしてきたわけです。さっきの絵の中でだけですら当てはまるのがコントラバス、スケボー、犬連れと、加えてアトピーで化け物みたいな見かけですからね、歩く迷惑みたいなもんで、かといってアンテナは付いてますから、ああ社会から迷惑がられているな、キモがられているな、俺いないほうがいいんだなーというメッセージを、人生を通して常に受け取り続けてきたわけです。

でまあ極端ですけど、このポスター見て、ああこの街には自分のような人間でもいていいんだ、肯定されるのだな、と思って。それでニューヨーク大好きおじさんになってしまったのでした。まあそんな可愛い初期体験は、1年後にアッパーイーストサイドのバーでくそ人種差別的な待遇を受けて砕け散るわけですがw。ちょっと考えりゃわかるんだけど、日本だって部落差別の強い地域にしか差別追放のアジビラは貼られてないわけで、つまり声高に掲出しないといけないくらいアメリカにおける差別やコンフリクトは根強く巨大なのだった。

それでも社会や企業がダイバシティやアンチレイシズムをはっきり掲げるだけ、マシなのかもしれない。だってこの絵をその年のポスターに選ぶってことは、MTA(NYの鉄道会社)はこの絵のメッセージをはっきりと肯定しているということだよ。たいした勇気だと思う。ちなみにお台場にダイバシティってショッピングモールができたとき、なんて気の利いたネーミングなんだ、と思って胸を高鳴らせて行ってみたのですが、見事にチェーン店ばかりで埋め尽くされていて、なんたる皮肉!とのけぞりました。そんなとこで。