左も右も敵に回すようなことをわざわざ言うのもアホの極みだが、自分の気持ちを封じ込めるのはさらにアホだろうから、書き留めておこうと思う。きょうひさしぶりに官邸前に出て、これ、続けていてもダメなんじゃないか、何も変わらないんじゃないかという疑念が自分でも抑え切れないほど大きくなってきてしまい、帰りの駅でボーゼンと立ち尽くし、何本も電車をやりすごしてしまった。

その疑念は原発のときすでに芽生えていて、でもあのときはまだ希望を持ち続けていられていたのだった。でもなんかきょうは、その疑念がむくむくと育ち心を支配してしまうのを、自分でもどうしようもなくなってしまった。行き帰りの電車で見たあまりに普段と変わらない風景と、通り過ぎていくサラリーマンたちにほんとうに邪魔そうな目で押しのけられたことと、警官たちの巧妙な誘導になすがままの抗議者たちと、その他もろもろの景色が流れ込んできて、結果として疑念しか残らなくなってしまった。

別に冷笑的なことが言いたいわけじゃない。心が折れたわけでもまったくなくて、ただ、どうしたらいいかわからないけど、でもいまとは別のアプローチをしないと、たくさんの人を巻き込んでこの国が変わるなんて無理なんじゃないかと思った、ということだ。それが何なのかわからない。タイや台湾や香港やエジプトやギリシャから何か真似できる学べることがあるかもしれない。ないかもしれない。自分にできることがあるのかもしれないし、ないのかもしれないし、正直わからない。

きょうのところは、わからないことしか、わからない。