アスファルトに雪が積もるように

震災から2カ月が経って、被災地を2度訪れて、ようやくだけれども少し言葉が出てくるようになったかもしれないので、おやナタも無事開いたことだし、思ったことを書き留めておこうと思います。最初はtwitterにポストするつもりで書き始めたので、段落ひとつが140文字なのはご愛嬌。

4/4に気仙沼に行く機会を持てたのは、自分の心にとって、とてもよいことだった。現地に行く前の僕は、完全にノイローゼだったから。メディアは派手な絵ばかり抜いて写すので、事態はどこまでも底なしに悪く見え、心臓が喩えでなくギュッと締められて、息ができなくなったりしていたもの。

現場に立ってみると、確かに甚大な災害だった。だけど宇宙の果てまで、無限に悪いわけじゃないという当然のことがわかって、ようやく気を確かに取り戻すことができた。しかし規模が飲めたら今度は、自分ができることの矮小さと必要とされていることの巨大さがわかって、その乖離に苛まれ始めた。

僕にできるのは有志から預かった荷物をハイエースに積んで、縁あった何十人かの人に手渡して回ることくらいだ。カップ麺やパック酒で、おしりふきや長靴で、拝むように感謝されたりする。けれど、その場しのぎのわずかな物資が、何になるのか。サンタクロース気取りで、何が災害援助だろう。

現地で知りあった人の埋もれた貯金箱を探すためにガレキを片付けながら、あまりに力がないことに愕然としていた。こんなガレキが何百キロも続いてる。なのに僕にはユンボすらない。バケツで山火事に挑むようなちっぽけさだ。失職して路頭に迷ってる人に会っても、よし任しとけ、なんて言える甲斐性も、ない。

帰りの東北道で、僕は生まれて初めて、権力欲のようなものに包まれていた。それは無力感の裏返しだった。この天災と対峙するには、いまの自分ではあまりに力がなかった。せめて医者だったら、NGOだったら、学者だったら、政治家だったら、軍人だったら。うちの会社が100倍デカければ。

被災地から帰ってきた僕が「雇用が」「支援制度が」とか言い出すのを見て、お前ナニ様だ、学者か大臣にでもなったつもりか、と苦笑した人も多いと思う。突然大局を語り出すのはボンクラの得意技で、要はマクロとミクロの見境をロストしていたのだと思う。ありがちな話ではあるけれど。

原発の悪い状況を横目で見ながら10日を過ごし、2度目にSTUで牡鹿半島を回ったときは、完全に諦念に支配されながら、作り笑いで活動を続けた。10日の都知事選で石原が圧勝したのも、やるかたなさに拍車をかけた。もはや動かしようなく、世界は悪いままあり続けようとしてるように見えた。

ヒントは突然降ってきて、笑っちゃうことにそれは2ちゃんのスレにあった。そこでは災害派遣された自衛隊員のひとりが現地の惨状と無力感を嘆いていて、それでも、明日も仕事だと呟いていた。書き込みの真贋はもはや気にならず、ただ驚いた。あの輝かしく頼もしい自衛隊員が、無力感?

被災地での自衛隊の存在感は圧倒的だった。あんな頼もしい彼らが無力感に苛まれることなど、あるのだろうか。想像してみた。うわー、たぶん、ある。いや間違いなく苛まれるんじゃないだろうか、あの中で働いていたら。どかしてもどかしてもガレキ。人々の暮らしが常態化するめどは、どこなのか。

じゃあ誰なら無力感と縁なくいられるだろう? NGOのリーダーなら、大企業の経営者なら、政治家なら、法王猊下なら? そう考えたら、この天災を前に無力感に苛まれずにいられる人なんていないんじゃないかと思い至った。人にどうこうできることの限界を上回っているからこそ、天災なんだと。

だとしたら。誰もが及第点に届かないのが現実なら。それを理由に持ち場を投げ出すわけにはいかないだろう。そしてそれは何のことはない、普段の人生と同じことだった。個人にできることなどたかが知れているし一発逆転のミラクルなんて起きないけど、同時に何事も個人によってしか起こらない。

いちばん気が滅入っていた時期、ある人が僕にこう言ってくれた。「アスファルトにも、いつの間にか雪が積もるじゃない」。ひとひらの降る雪はすぐに溶けてしまう。しかしもうひとひら溶け、そうこうしているうち、気づくと雪は、淡く道を覆っていて、あとはどうだ、しっかり積もり始めるのだと。

私たち個人の持てる力は、誰であろうと弱い。だから行いが実らず溶けてしまっても、その弱さに気折れてしまわないよう、遠くを見据えていなければならない。雪が積もる瞬間を見たい、積もる雪でありたいという子供っぽい欲望に囚われてはいけない。それは尊大さの別の表情にしかすぎないのだ。

僕はもともと、人は競い奪い合う生き物だと思って暮らしてきた節があった。ひとつには歴史を、世間を見れば明らかだし、またそれを許すだけの剰余リソースが文明や技術によって人類にもたらされているから、奢侈や蕩尽が起こるのだと思ってきた。しかし今回の震災で、その考えは変わった。

被災地に立てば誰でもわかる。自然の力の前で人はあまりに脆弱な生き物で、リソース不足も甚だしいし、持ってる技術なんてたかが知れている。われわれは、ヌーやイワシやある種の粘菌のように、助け支え合っていく側の弱い生き物だった。それがはっきりわかったのが、今回の震災だった。

だから。僕は自分の力がとても弱いことをもう、恥じずにいようと思う。わかりやすく誰かを救うことができなくても、心折れなくていいのだ。それでも僕は被災地のことを考え続けることを止めないし、他人に何かしたいと願うことを自分に許したい。それは自らが生き延びるためでもあると思う。

心強いことに今日このときも僕の仲間が被災地で、さまざまな活動を繰り広げている。みんな立派に見えるけれど、自分にできることをできるなりにこなしているのは誰も同じだ。僕もいま、次の活動に向けて備えている。ひとひらの雪となれればと、いまはそう思いながら、日々を過ごしている。(了)