授業初日だった。ハーモニーの授業は、早口だけどまあ安心感。前の学校より良いなーと思ったのは、アナライズでローマ数字と矢印に加えて、和声機能をぜんぶ書かせるところ。ノンダイアトニックのセブンスコードで1箇所、ドミナントだと書いたらサブドミナントだったところがあって、サブドミナントのキャラクターノートも含んでいなかったので、なんでだろうってなったところがあった。このレベルでわからないところがあるのは情けない。家に帰ってから調べたら古典和声のほうのサブドミナント定義で判別できたので、基本はやっぱ大事だな。

もうひと枠はキーボード基礎だったんだけど、まさかのドレミからやらされて、他の生徒が音楽科の生徒じゃないと判明したので、これはドロップすることにした。ただ代わりに何を取るかが難問だ。発音矯正がある英語のクラスを取りたいけど、これは全部埋まってる上に時間帯が被っていてキャンセル待ちも不可。英作文のクラスもちょうどいい時間帯のクラスは全部満席。生徒数が少ないので授業の選択肢が少なくて、なかなかうまく時間割が組めない。

帰りにカンタくんのオフィスを見学に寄らせてもらう。きのう日記に書いたペアーズのおもしろさについて、実際目の前でやってもらったら彼もやみつきになってしまったのだけれど、日記はたいして読まれなかったのでつまり、「実際に手を動かしてもらわないと面白みが伝わらない」タイプの文章はいまどき流行らないのだな、その文章を読んでる最中に面白みまで味あわせないと食べてもらえないのかな、とか思った。

やっぱり学生というのは何かやってますという目先の充実感が得られてしまうので、中毒性があって怖いと思った。学ぶのは楽しいし学べるのはありがたいことなのだけれど、この充実感を自我の安寧のために、つまり自分が何者かであるか手っ取り早く定義づけられるように用いるのはやはり大いに問題があるように感じる。ひさしぶりに午前から夜半まで活動したらめったやたらに疲れてしまった。走れず。

たまには実用的なことでも書いてみよう。昨年TJNY内でビッグニュースが駆け抜け、それはプライバシーに関することなのでここには書かないが、とにかくPairsというマッチングアプリが熱病的に流行した。出会いは二の次でおもしろい。もしドメスティックなマーケットリサーチが仕事に必要な人がいたら、いまもっとも信頼性高く実社会を投影している観察ツールはPairsだと断言したい。

すごく簡単に説明すると、Pairsにはかつて隆盛を誇っていた時期のmixiコミュニティが、より生々しいディテールをともなって、よりシビアに再現されているのだ。しかもほとんどのパラメータが男女別に表示されるのだった。とりあえずアプリをダウンロードして登録し、まずはrad wimpsでも米津玄師でも誰でもいいのでコミュニティ検索をして、規模感を把握してみてほしい。

そののち好きなミュージシャンのコミュニティを検索してほしい。ここで具体的なサンプルは提示しないけど、その数の残酷さ、男女比のリアルさ、そして参加者のサムネイルをめくってると立ち上ってくるセグメントの嗜好性に、たぶん震えることと思う。なにしろ参加のモチベーションが切実なので、繰り返しになるけど、いまネットでこんなに生々しい観察対象はめったにないと思う。また同業他社は数あれど、母数の大きさでPairsが圧倒的なように思う。

mixiがそうだったようにコミュニティはアーティストだけが対象ではない。マンガ、映画、小説、食品、レストラン、街、スポット、あらゆるものにコミュニティが作られていて、そしてあらゆるコミュニティから放出されている表情が、なんだかネット初期を回想してしまうほど、リアルで熱を孕んでいるのだった。いやほんま、騙されたと思って見てみてください。くそおもしろいうえに、単身者なら出会いが付いてくる可能性まであるのだし。

ひとつ難点を言うと、コミュニティ参加者として表示される異性の数と、実際に表示されるサムネイルの数にはズレがあったように記憶している。具体的にはTJNYのほかのみんなには表示されている女性が、自分にだけは見えてないことが何度もあった。つまり想像だが、年齢によって自分が表示される対象をフィルタリングできるのではないだろうか。なので年齢詐称しなかったおっさんは悲しみを抱いて眠ることになる。

そんなこんなでソファでどハマりしていたところ、後頭部に妻のしなやかな蹴りが入り、「違うの、出会いとかじゃなくて、純粋に、数字が、面白くて」ふたたび蹴りが入り、その場で私はアプリを削除することで家庭の平穏を取り戻すことに成功した。さまざまな誤解を呼びかねないところがもうひとつの難点といってもいいかもしれないが、あとこんなの世間では超いまさらなことなのかもしれないけど確かめる術がない。自分は実用的なことを書くのは向いてないねー。おしまい。

ちょっとだけ坂を入れてみたのだが、やっぱり死んだ。明らかに筋力より心肺が貧弱。30分4.9km。

CCNYの最寄駅は1トレインの137stかB/Cトレインの135stなんだけど、A/B/C/D(急行停車駅ということ)の125stと145stとキャンパスを周回するシャトルバスが出ていて、これを使うと楽だし、タイミングによってはすごく速い。のだけれど、来ないときはほんと来ないので凍えて死にそうになる。バスの現在位置を示すアプリがあるのがまだ心の救いではあるけれど。

それで昨日出せなかった書類を留学生オフィスに出して、あと学生証をゲットしたのでキャンパス内を探検して帰ってきた。バークリーは前にも書いたけどキャンパスの半分くらいは街中の雑居ビルを借りてリノベして使っていて、つまり東京でいうと専門学校の雰囲気に近い。それに比べるとすごいキャンパス然としていて、あと音楽科が入っているシェパードホールっていう建物は、築100年超の冗談みたいな荘厳な建築で見るたび笑ってしまう。

先日わざわざ支店まで行ってやってもらった保険の諸手続き、一切反映されていないので死にたい気持ちになっている。あと選んだPCP(かかりつけ医)が勤務実態のない人で、また選び直したらふたたび勤務実態のない人だったので死にたい気持ちがデュエルった。以前はPCPの要らないPPOって保険だったのでどこの病院でも好きに行けたのだけれど、フリーで入れるPPOは高すぎて無理。

それにしても、以前はほとんどLトレインしか使わず、あとはチャリで移動していたのだが(地下鉄にチャリ持ち込めるので、どこに行くにも電車+自転車のコンビネーションですごくシンプルに考えられる)、いまブルックリンとハーレムとを日々往復するようになって、ようやくニューヨーカー並みに地下鉄のことがわかってきた。コロンバスサークルに2/3トレインが停まらないことに衝撃を受けたりしています。

上り坂を組み込んだら一瞬でバテた。死ぬかと思った。20分3.5km、あと歩き。

4000人を超える生徒がいた前の学校と違って、CCNYのJazz Studiesはだいぶ規模が小さい。何人いるのか知らないけど、ほとんどの履修にはチェアの承認が必要で、それで今日ようやくチェアにお目通りとなって、どのクラスを取るかの個別面談となった。私がすっ飛ばしたのかもともと無いのかわからないけれどプレイスメントテストを受けていないので、まずはハーモニーの先生とマンツーで実力テストを受けることに。

その場でのテストなので口頭試問になったのだが、これが情けないくらいできなかった。前の音大の卒業生として泥を塗ったように思う。オマーごめん。言い訳をするとしたら英語での口頭試問なんて初めてで死んだ、ということになると思うのだけれど、とにかく楽器やペーパー相手なら答えられることがスラっと言えなかったので、ほんとは学科免除にしてもらいたかったけど、無理だった。

でもけっこうこれは本質的でありがたいことで、つまり反射的に答えられないというのは知識が血肉化していないのだ。口頭試問してくれた先生のクラスを取ることになったので、あんな感じで教えてくれるなら、身になりそうな予感がする。そしてコースの名前とかを見ても全体にすごく実践的なムードがあって、なんだかこの学校のカリキュラムに好感を抱き始めているのだった。

留学生登録をするための書類をプリントアウトしなくてはならなくて、検索したら近くのカフェにプリンターがあると出たので行ってみたら、カフェに無人のプリンターが設置されていて、メールで入稿するとリモートで印刷タスクが飛んでプリントされてくる、というどっかのスタートアップがやってるサービスだったのだけれど、実際やってみると異様に重くて、1枚刷るのに2分かかるという地獄が待っていた。

ちょっと気が利いたアイデアだったのに実装がくそなおかげで12枚刷るのに24分かかってしまい、留学生オフィスが閉まってしまった。また明日行かなければ。今日は走れませんでした。最近お好み焼きに凝っていて、毎夜家族が寝静まった頃にいろいろ実験している。精神が行き詰まったときはキャベツ食ってジョギングしてプロテイン飲めばなんとかなる。はず。実績値。

おとついの日記はなかなかよく書けたと思ったのだがぜんぜんRTされないどころかフォロワーが10人減ったので、キモいおっさんへの風当たりはハンパねえなと思った。とうとう日曜のオープンマイクも月曜のジャムも行く気がなくなってしまい、いちにちじゅう寝てるだけの人になってしまった。うつ病かな? と口に出して言ったら奥さんが小声で「殺すぞ」と。まあ、そらそうだわな。

外は昼からマイナス10度で鼻がもげそう。今日は5km走りきれた。35分。腰はバキバキだが膝の痛みが出なくなった。

デイリーポータルZに「ここはどこでしょう?」という人気コーナーがあって、ご多聞に漏れず私もファンで、もっと言えば古参アピールをしておきたいくらい大ファンである。もうシリーズ40回近いけど初期から見てるぞー!

簡単に言うと提示された風景写真からその撮影場所を当てるというクイズなんだけど、お恥ずかしい話、私はこの能力にたいへんに自信があって、もしこのクイズがオリンピック競技になったら私は、日本代表に入れるかは怪しいが国内選考会には残れてる程度の自信がある。なぜ恥ずかしいかというと、これはたいへんに暗くてキモくてさもしい精神性に裏付けられた競技だからである。

ある写真を目にしたとき、それはどこで撮られたのだろうと考えるのは、ままあることだ。パッとわかるなら、それもいいだろう。でもたいていの場合、わからない。普通の人ならそこで思考が切り替わるのだと思う。それがカラッとした明るい生き方だ。しかし世の中には石の裏に住んでいる私のような人間もいる。じくじくと拡大して何か材料は写っていないかと情報を集め始めるのだった。

何か文字情報は写っていないだろうか。看板でもあれば検索のたねになる。ランドマークが写り込んではいないだろうか。もしあれば、三角法でおおよその地点がわかる。昼間なら影から方位がわかる。マンホールやカーブミラーは写っていないだろうか。自治体のマークが拾えればだいぶ絞り込める。遠景に山か橋は写っていないだろうか。稜線やシルエットに特徴があればこれも特定につながる。

動画ならキャプチャしてつなげてパノラマ写真を作ればイージーだ。地質は、植生は。もっと専門的な話をし出したら夜が明けるが、これが何時間でも集中してやれる。解を得たときのカタルシスもそれなりのものがあるけれど、自分としては何時間でも集中して作業に打ち込めること、その熱中している時間のほうに快楽を見出しているように思うのだが、ひとつ言えるとしたらこれは、Google帝国のもたらした精神性なのだな、ということなのだった。

文字検索と、普通のGoogleマップと、ストビューと、アースモードを行きつ戻りつしながら特定作業は進む。それらがない時代は脳内のストックだけが頼りで、それはあまりに貧弱だった。いつの日かAIが進化したら画像検索で一発特定、まで到達するような気もしている。ところで特定という日本語は2ちゃん由来で広まった。私は2ちゃんにコミットしたことはないけれど、鬼女板特定班の仕事にはやはり驚かされた。クルマのボンネットに映り込んだ景色から住所を割り出していた。あれはすごい。

となるともうひとつ、これはハイレゾ時代の精神性なのだとわかる。アナログ写真の時代はルーペの倍率に作業の限界があったし、コントラストを変えて見やすくすることもできなかった。印刷物だと網点になってしまい話にならないし、デジカメ初期も話にならなかった。やはりメガピクセルあたりから戦えるようになってきたように思う。いまや長辺が2000、3000当たり前で、こうなると腕まくりのしがいもあろうものだ。

常盤響さんがカメラマンデビューをしたとき、いつ写真を覚えたのですかと聞かれて、グラビアのレタッチ作業をしていたら、眼球にスタジオの機材がだいたい映り込んでいるので、どんな写真を撮るにはどんな機材とライティングが必要なのかおおよそわかってしまった、と答える有名なエピソードがあったのだけれど、あれは半分ほんとだと思う。半分はトキちゃん先生ならではの冗談だと思うけど。

さておきこの特定ゲームがなぜ暗いのかといえば、これが執着心という一種のリビドーにもとづいて駆動されているからであり、言葉を選ばなければストーカー的メンタリティのたまものであると思うからだ。おおよそこの特定は、たとえばアイドル・芸能人、たとえばネット恋愛、もしくはフォローしてるだけの関係性しかないネット上の人、のスナップ写真に向けて繰り返されてきた。

よく言われる話だけれど、twitterに上がった「見て!雪!こんな積もった!」なんてベランダショットなんて、われわれ(勝手に我々にしてゴメン)の格好の養分である。私もある時点までは、タイムラインに上がってくるスナップをしばしば、特定ゲームの材料にしてきた。しかし、じきに気づくのである。これ、キモすぎるな。って。なんでキモいかといえば、本人に話せないからである。

「こないださー、雪の写真上げてたじゃん、あれ見て〇〇さんの家、おれわかっちゃった。××マンションの5階の角部屋っしょ! あれ? 6階だった?」即通報だ。本人に話せないというのは、その行為がキモいかキモくないかを判断するのにもっともメジャーな材料たりえる。それであるときから私は、知人友人の上げてくる写真を拡大することを一切自分に禁じた。またちょっとでも関心を持ってる人の写真も、対象とするのをやめた。

相手のことを知りたい、という好奇心は人間を駆動する最大の燃料であると同時に、繰り返すけど、ストーカーまっしぐらの暗い情熱である。ツールが素朴なうちはたいてい達成されやしないので、それを好きに発動させていればよかったように思う。けれどハイレゾGoogle時代のそれは、一瞬のタメもなしに人を犯罪者予備軍まで連れていってしまうように思う。家が割り出せたら現地を見てみたくなるのもまた、人間の好奇心なのだ。手錠手錠!

そんなわけで私はあるときから、撮影者が誰かわからない画像しか相手にしないことに決めた。撮影者がわかっていても、おじいちゃんとかならだいぶ良い。自分のリビドーから遠いので、安心して特定ゲームに打ち込める。そんな折、登場したのが冒頭の「ここはどこでしょう?」だった。最初は一瞬「こんなん企画にするかね、個人の秘め事だろ」と思ったものの、やってみるとあまりにスッキリ楽しめるのでびっくりした。安心感が違うのだ。

パブリックなメディアの企画として個人のにおいが脱臭されているし、撮影者の人間性がしっかり除去されているので、打ち込んでいて罪悪感がまったく生じない。ストーカーめいた情熱をフルにリリースさせても、自分がお縄になるようなリスクがまったくない。鍵メーカー公認ピッキングコンテストがあったら似たような安心感があると思う。ただ一方で、これは特定作業のツリボリだな、管理釣り場だな、という感覚も拭い切れない。

出題者があらかじめ難易度を設定しているから、基本がんばれば解けるのが前提になっている。解けないのが前提の問題に立ち向かうのと、解けるのが前提とでは、やはり気持ちが違う。スケーターをスケートパークにだけ閉じ込めておくのは難しい。パークにあるセクションは、どれもスケートするために作られているからだ。スケートのことなど微塵も考えていない、むしろ拒否しているオブジェクトに挑むのもまたスケーターの習い性で、それはやっぱり魅力的だけれど、すぐに警備員が飛んできて、通報される。

30分走ったけど途中で心肺が上がってしまって、数分休んだ。なので15分2.4km×2セット。腕立ての筋肉痛がすごい。

 

気晴らしにiPhoneをば新調してみたのだけれど、いろんなハードルがあってどハマりした。ハマったところはみんな原因いっしょで、日本のサービスを海外居住者が使うってことに伴う障壁のあれこれだ。たとえば本体の電話番号で認証しまーすと言われるけどアメリカの電話番号だと入力できない、とか、テキストメッセージで二段階暗唱のパスワードを送りますがアメリカの電話番号には届きません、とか。

そしてこういうときのために私は毎月800円払ってガラケーを生かしていて、前回の機種変のときはたいへんに役立ってくれたのだけれども、銀行アプリのパスワードを自動音声で発信しますというプロセスで、いくら試しても電話がかかってこない。以前はこれ海外でも着信できたはずなのに。というわけでよくよく調べたら、私の3Gガラケーは2018年3月で、海外での使用ができなくなっていたのだった。

どうしよう。そもそも月数百円のコストで回線を維持できるからこのガラケーMNPしたのに、スマホに変えたらその塩漬けプランも適用にならなくなってしまう。なにより機種変するには店頭に行かなければいけないし、もし帰国時にやるとしてもマイナンバー出せって言われたらそこで詰む(住民票がない=マイナンバーないので)。

とりあえず2019年なりの塩漬け方法を調べようと思って少しググったのだけど、うんざりしてすぐやめてしまった。何とかプランに何とかホーダイに何とか割引に何キャッシュバックに何とか縛りに何とかキャンペーンに何とかサポートに無料通話つきとか、あの複雑怪奇なゲームをまだやってるのだなー。

あの正体がよくわからなくなる場合分け足し引きゲームはもともとアメリカの通信会社が生み出したものが日本に輸入されて魔改造されたわけだけれど、ご本家のほうはとっくにあれを放棄して、話し放題データ放題みたいなアホ均一料金が主軸になっており、たぶんあらゆる面でそっちのほうがコスト的に楽なのだろうと容易に想像できる。

ただ、ケーブルテレビの契約はまだ2年縛りだと何とかプランで、意味のない電話回線をセットにするとさらにお安くどうこうって魔窟のままだね。移動通信では極限シンプルに再整理された料金体系が、なぜケーブルテレビまでは襲来してこないのか、少し不思議だし面白く思う。きょうは試しに腕立て伏せをしてみたら30回でダウンした。