CCNYの最寄駅は1トレインの137stかB/Cトレインの135stなんだけど、A/B/C/D(急行停車駅ということ)の125stと145stとキャンパスを周回するシャトルバスが出ていて、これを使うと楽だし、タイミングによってはすごく速い。のだけれど、来ないときはほんと来ないので凍えて死にそうになる。バスの現在位置を示すアプリがあるのがまだ心の救いではあるけれど。

それで昨日出せなかった書類を留学生オフィスに出して、あと学生証をゲットしたのでキャンパス内を探検して帰ってきた。バークリーは前にも書いたけどキャンパスの半分くらいは街中の雑居ビルを借りてリノベして使っていて、つまり東京でいうと専門学校の雰囲気に近い。それに比べるとすごいキャンパス然としていて、あと音楽科が入っているシェパードホールっていう建物は、築100年超の冗談みたいな荘厳な建築で見るたび笑ってしまう。

先日わざわざ支店まで行ってやってもらった保険の諸手続き、一切反映されていないので死にたい気持ちになっている。あと選んだPCP(かかりつけ医)が勤務実態のない人で、また選び直したらふたたび勤務実態のない人だったので死にたい気持ちがデュエルった。以前はPCPの要らないPPOって保険だったのでどこの病院でも好きに行けたのだけれど、フリーで入れるPPOは高すぎて無理。

それにしても、以前はほとんどLトレインしか使わず、あとはチャリで移動していたのだが(地下鉄にチャリ持ち込めるので、どこに行くにも電車+自転車のコンビネーションですごくシンプルに考えられる)、いまブルックリンとハーレムとを日々往復するようになって、ようやくニューヨーカー並みに地下鉄のことがわかってきた。コロンバスサークルに2/3トレインが停まらないことに衝撃を受けたりしています。

上り坂を組み込んだら一瞬でバテた。死ぬかと思った。20分3.5km、あと歩き。

4000人を超える生徒がいた前の学校と違って、CCNYのJazz Studiesはだいぶ規模が小さい。何人いるのか知らないけど、ほとんどの履修にはチェアの承認が必要で、それで今日ようやくチェアにお目通りとなって、どのクラスを取るかの個別面談となった。私がすっ飛ばしたのかもともと無いのかわからないけれどプレイスメントテストを受けていないので、まずはハーモニーの先生とマンツーで実力テストを受けることに。

その場でのテストなので口頭試問になったのだが、これが情けないくらいできなかった。前の音大の卒業生として泥を塗ったように思う。オマーごめん。言い訳をするとしたら英語での口頭試問なんて初めてで死んだ、ということになると思うのだけれど、とにかく楽器やペーパー相手なら答えられることがスラっと言えなかったので、ほんとは学科免除にしてもらいたかったけど、無理だった。

でもけっこうこれは本質的でありがたいことで、つまり反射的に答えられないというのは知識が血肉化していないのだ。口頭試問してくれた先生のクラスを取ることになったので、あんな感じで教えてくれるなら、身になりそうな予感がする。そしてコースの名前とかを見ても全体にすごく実践的なムードがあって、なんだかこの学校のカリキュラムに好感を抱き始めているのだった。

留学生登録をするための書類をプリントアウトしなくてはならなくて、検索したら近くのカフェにプリンターがあると出たので行ってみたら、カフェに無人のプリンターが設置されていて、メールで入稿するとリモートで印刷タスクが飛んでプリントされてくる、というどっかのスタートアップがやってるサービスだったのだけれど、実際やってみると異様に重くて、1枚刷るのに2分かかるという地獄が待っていた。

ちょっと気が利いたアイデアだったのに実装がくそなおかげで12枚刷るのに24分かかってしまい、留学生オフィスが閉まってしまった。また明日行かなければ。今日は走れませんでした。最近お好み焼きに凝っていて、毎夜家族が寝静まった頃にいろいろ実験している。精神が行き詰まったときはキャベツ食ってジョギングしてプロテイン飲めばなんとかなる。はず。実績値。

おとついの日記はなかなかよく書けたと思ったのだがぜんぜんRTされないどころかフォロワーが10人減ったので、キモいおっさんへの風当たりはハンパねえなと思った。とうとう日曜のオープンマイクも月曜のジャムも行く気がなくなってしまい、いちにちじゅう寝てるだけの人になってしまった。うつ病かな? と口に出して言ったら奥さんが小声で「殺すぞ」と。まあ、そらそうだわな。

外は昼からマイナス10度で鼻がもげそう。今日は5km走りきれた。35分。腰はバキバキだが膝の痛みが出なくなった。

デイリーポータルZに「ここはどこでしょう?」という人気コーナーがあって、ご多聞に漏れず私もファンで、もっと言えば古参アピールをしておきたいくらい大ファンである。もうシリーズ40回近いけど初期から見てるぞー!

簡単に言うと提示された風景写真からその撮影場所を当てるというクイズなんだけど、お恥ずかしい話、私はこの能力にたいへんに自信があって、もしこのクイズがオリンピック競技になったら私は、日本代表に入れるかは怪しいが国内選考会には残れてる程度の自信がある。なぜ恥ずかしいかというと、これはたいへんに暗くてキモくてさもしい精神性に裏付けられた競技だからである。

ある写真を目にしたとき、それはどこで撮られたのだろうと考えるのは、ままあることだ。パッとわかるなら、それもいいだろう。でもたいていの場合、わからない。普通の人ならそこで思考が切り替わるのだと思う。それがカラッとした明るい生き方だ。しかし世の中には石の裏に住んでいる私のような人間もいる。じくじくと拡大して何か材料は写っていないかと情報を集め始めるのだった。

何か文字情報は写っていないだろうか。看板でもあれば検索のたねになる。ランドマークが写り込んではいないだろうか。もしあれば、三角法でおおよその地点がわかる。昼間なら影から方位がわかる。マンホールやカーブミラーは写っていないだろうか。自治体のマークが拾えればだいぶ絞り込める。遠景に山か橋は写っていないだろうか。稜線やシルエットに特徴があればこれも特定につながる。

動画ならキャプチャしてつなげてパノラマ写真を作ればイージーだ。地質は、植生は。もっと専門的な話をし出したら夜が明けるが、これが何時間でも集中してやれる。解を得たときのカタルシスもそれなりのものがあるけれど、自分としては何時間でも集中して作業に打ち込めること、その熱中している時間のほうに快楽を見出しているように思うのだが、ひとつ言えるとしたらこれは、Google帝国のもたらした精神性なのだな、ということなのだった。

文字検索と、普通のGoogleマップと、ストビューと、アースモードを行きつ戻りつしながら特定作業は進む。それらがない時代は脳内のストックだけが頼りで、それはあまりに貧弱だった。いつの日かAIが進化したら画像検索で一発特定、まで到達するような気もしている。ところで特定という日本語は2ちゃん由来で広まった。私は2ちゃんにコミットしたことはないけれど、鬼女板特定班の仕事にはやはり驚かされた。クルマのボンネットに映り込んだ景色から住所を割り出していた。あれはすごい。

となるともうひとつ、これはハイレゾ時代の精神性なのだとわかる。アナログ写真の時代はルーペの倍率に作業の限界があったし、コントラストを変えて見やすくすることもできなかった。印刷物だと網点になってしまい話にならないし、デジカメ初期も話にならなかった。やはりメガピクセルあたりから戦えるようになってきたように思う。いまや長辺が2000、3000当たり前で、こうなると腕まくりのしがいもあろうものだ。

常盤響さんがカメラマンデビューをしたとき、いつ写真を覚えたのですかと聞かれて、グラビアのレタッチ作業をしていたら、眼球にスタジオの機材がだいたい映り込んでいるので、どんな写真を撮るにはどんな機材とライティングが必要なのかおおよそわかってしまった、と答える有名なエピソードがあったのだけれど、あれは半分ほんとだと思う。半分はトキちゃん先生ならではの冗談だと思うけど。

さておきこの特定ゲームがなぜ暗いのかといえば、これが執着心という一種のリビドーにもとづいて駆動されているからであり、言葉を選ばなければストーカー的メンタリティのたまものであると思うからだ。おおよそこの特定は、たとえばアイドル・芸能人、たとえばネット恋愛、もしくはフォローしてるだけの関係性しかないネット上の人、のスナップ写真に向けて繰り返されてきた。

よく言われる話だけれど、twitterに上がった「見て!雪!こんな積もった!」なんてベランダショットなんて、われわれ(勝手に我々にしてゴメン)の格好の養分である。私もある時点までは、タイムラインに上がってくるスナップをしばしば、特定ゲームの材料にしてきた。しかし、じきに気づくのである。これ、キモすぎるな。って。なんでキモいかといえば、本人に話せないからである。

「こないださー、雪の写真上げてたじゃん、あれ見て〇〇さんの家、おれわかっちゃった。××マンションの5階の角部屋っしょ! あれ? 6階だった?」即通報だ。本人に話せないというのは、その行為がキモいかキモくないかを判断するのにもっともメジャーな材料たりえる。それであるときから私は、知人友人の上げてくる写真を拡大することを一切自分に禁じた。またちょっとでも関心を持ってる人の写真も、対象とするのをやめた。

相手のことを知りたい、という好奇心は人間を駆動する最大の燃料であると同時に、繰り返すけど、ストーカーまっしぐらの暗い情熱である。ツールが素朴なうちはたいてい達成されやしないので、それを好きに発動させていればよかったように思う。けれどハイレゾGoogle時代のそれは、一瞬のタメもなしに人を犯罪者予備軍まで連れていってしまうように思う。家が割り出せたら現地を見てみたくなるのもまた、人間の好奇心なのだ。手錠手錠!

そんなわけで私はあるときから、撮影者が誰かわからない画像しか相手にしないことに決めた。撮影者がわかっていても、おじいちゃんとかならだいぶ良い。自分のリビドーから遠いので、安心して特定ゲームに打ち込める。そんな折、登場したのが冒頭の「ここはどこでしょう?」だった。最初は一瞬「こんなん企画にするかね、個人の秘め事だろ」と思ったものの、やってみるとあまりにスッキリ楽しめるのでびっくりした。安心感が違うのだ。

パブリックなメディアの企画として個人のにおいが脱臭されているし、撮影者の人間性がしっかり除去されているので、打ち込んでいて罪悪感がまったく生じない。ストーカーめいた情熱をフルにリリースさせても、自分がお縄になるようなリスクがまったくない。鍵メーカー公認ピッキングコンテストがあったら似たような安心感があると思う。ただ一方で、これは特定作業のツリボリだな、管理釣り場だな、という感覚も拭い切れない。

出題者があらかじめ難易度を設定しているから、基本がんばれば解けるのが前提になっている。解けないのが前提の問題に立ち向かうのと、解けるのが前提とでは、やはり気持ちが違う。スケーターをスケートパークにだけ閉じ込めておくのは難しい。パークにあるセクションは、どれもスケートするために作られているからだ。スケートのことなど微塵も考えていない、むしろ拒否しているオブジェクトに挑むのもまたスケーターの習い性で、それはやっぱり魅力的だけれど、すぐに警備員が飛んできて、通報される。

30分走ったけど途中で心肺が上がってしまって、数分休んだ。なので15分2.4km×2セット。腕立ての筋肉痛がすごい。

 

気晴らしにiPhoneをば新調してみたのだけれど、いろんなハードルがあってどハマりした。ハマったところはみんな原因いっしょで、日本のサービスを海外居住者が使うってことに伴う障壁のあれこれだ。たとえば本体の電話番号で認証しまーすと言われるけどアメリカの電話番号だと入力できない、とか、テキストメッセージで二段階暗唱のパスワードを送りますがアメリカの電話番号には届きません、とか。

そしてこういうときのために私は毎月800円払ってガラケーを生かしていて、前回の機種変のときはたいへんに役立ってくれたのだけれども、銀行アプリのパスワードを自動音声で発信しますというプロセスで、いくら試しても電話がかかってこない。以前はこれ海外でも着信できたはずなのに。というわけでよくよく調べたら、私の3Gガラケーは2018年3月で、海外での使用ができなくなっていたのだった。

どうしよう。そもそも月数百円のコストで回線を維持できるからこのガラケーMNPしたのに、スマホに変えたらその塩漬けプランも適用にならなくなってしまう。なにより機種変するには店頭に行かなければいけないし、もし帰国時にやるとしてもマイナンバー出せって言われたらそこで詰む(住民票がない=マイナンバーないので)。

とりあえず2019年なりの塩漬け方法を調べようと思って少しググったのだけど、うんざりしてすぐやめてしまった。何とかプランに何とかホーダイに何とか割引に何キャッシュバックに何とか縛りに何とかキャンペーンに何とかサポートに無料通話つきとか、あの複雑怪奇なゲームをまだやってるのだなー。

あの正体がよくわからなくなる場合分け足し引きゲームはもともとアメリカの通信会社が生み出したものが日本に輸入されて魔改造されたわけだけれど、ご本家のほうはとっくにあれを放棄して、話し放題データ放題みたいなアホ均一料金が主軸になっており、たぶんあらゆる面でそっちのほうがコスト的に楽なのだろうと容易に想像できる。

ただ、ケーブルテレビの契約はまだ2年縛りだと何とかプランで、意味のない電話回線をセットにするとさらにお安くどうこうって魔窟のままだね。移動通信では極限シンプルに再整理された料金体系が、なぜケーブルテレビまでは襲来してこないのか、少し不思議だし面白く思う。きょうは試しに腕立て伏せをしてみたら30回でダウンした。

留学生にとってなにより大事なのはI-20という滞在許可の書類を正しい状態でキープし続けることなのだが、それをゲットしに行こうと思ったのに諸問題発生して目的は達せず、薬の補充を注文したら保険の変更にともない薬局が変わることが発覚して、保険のオンラインアカウントのエラーも直したいのだが支店が開いてるうちにたどり着けず、腹いせに交換キャンペーンやってるiPhoneでも買ったろか、とアップルストアに行ったらレジだけで20分待ちだというので頭きて帰ってきた。

家族で外食、Olmstedという店。Yelpにはアメリカ料理って書いてあるんだけど全然アメリカ料理じゃなくて、タイ料理中心にエスニックを適当解釈した、フュージョンとまで行かないアジアンキュイジーヌみたいなやつ。全体にスナック菓子みたいな味で、ボストンで住んでたマンションの1階に入ってたタイガーママっていうチャラいタイ料理屋を思い出した。クレソンのフライがうまかった。隣にガチ印度料理屋があるんだけどガラガラで気の毒。

きのうは走り始めて1分経たないうちに右膝に激痛でそのまま帰宅。もともとガラスの両膝なんだけど、脆すぎるだろう。思い当たる原因としては靴かな。軽いから良かろうとUltraZoomで走ってたんだけど、ニットスニーカーって着地時にぐにゃっとスタビリティ悪い感触があって、それが膝に悪かったのかもしれない。マッサージとストレッチしてなんとかごまかせるようになったので、今日は雨靴に使っているトレランシューズで35分、4.8km。筋肉がもつなら少し速いほうが関節は楽ね。

名盤ドキュメント「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を見た。松任谷由実の回が面白かったので期待していたところもあったのだが、正直に言うとあんま興奮しなかった。まず思ったのは、これ流すくらいだったらソリトンside-BのYMO特集を再放送したほうが、だいぶ面白かったし2019年にやる意義もあったのではないかな、ということだ。

象徴的だったのが卓球のコメントで、語ってるエピソードも語り口も20年前のside-Bのときのコメントと(ワザとかな、と思わせるほど)同じで、つまりこの20年の停滞を強く感じさせられてしまった。ほかのコメンテーターも、20年前とは顔ぶれが一新されているのにびっくりするくらい言説に新鮮さがなくて、失われた20年とかってこういう意味だったのかーとすら思った。

そりゃ同じ音楽の話をしてるんだから同じ言説の反復になって当然だ、という意見もあろうけど、なんかそういうレベルの話じゃないんだよね。YMOの、というか細野さんのありがたがり方が完全に固定化、陳腐化、形骸化してしまっているのがいまさらながらに再確認されてしまった。

そのなかでひとり気を吐いていたというか、よっさすが、と思わせてくれたのが中沢先生で(わたしは中沢新一の追っかけ学生たったので、どうしても先生と呼ぶ以外の呼称を持てない)、思わせぶりで喚起力の高い言葉ばかりを、いいテンポで紡ぎ出しては聞く側の想像力をいたずらにくすぐる、あのぺてんとケレンに満ちた魅力的な語り口が息を吹き返していたのでなんだか安心した。一時より元気になっていたように見えた。

それで細野晴臣YMOプロジェクトに見た夢について、「コンピューターを換骨奪胎して西欧文明のスタンダードに別の土台を据え付ける」みたいなことを語っていて、その言説自体は既視感の拭えないものではあるけれど、しかしながらコンピューターと西欧文明という単語の連想でハッとさせられたのだった。ああ、中沢先生って、いまでいうと落合陽一みたいな存在だったのだなー。

ここで言う「みたいな」っていうのは、思想が似てるとかそういうことじゃなくて、トリックスター的な見え方をまとって世に出てきて、アカデミズムの本流や旧世代からは浮ついている、内実がない、信用ならないと見られて、なんなら詐欺師扱いされて、だけどあるセグメントの若者には教祖的といっていいほど熱を持って受容されているし求められている、という、そういう立ち位置の。

やっぱり2019年のエルダー層たる私には、落合陽一はとてもじゃないけど幼稚でおままごとにしか見えてないんだけど、1987年の大人には中沢新一がそう見えていたんだろうなー、と思い至ったのだった。ただそこでふと気づいたのは、中沢先生のバックグラウンドはド左翼だけど落合陽一は政権与党べったりで、そこの違いに時代性が大きく宿っているのかも、と思ったりもした。

話がだいぶドリフトしちゃったけど、そういうわけなので、もしここを読まれている若い方で先日の名盤ドキュメント「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」がすげー楽しかった! って人がいましたら、ぜひ、もうほんと盛り上がれますんで、ソリトンside-BのYMO特集を違法アップロードかなんかで検索して見てください。おれのノスタルジーを差し引いても1000パーセント保証しますんで。

さて筋肉痛がすごい。おとついまで寝たきり老人みたいな暮らしをしていたのだから仕方がないけど、それにしてもしんどい。ただここで休むと正式な三日坊主になってしまうので、血流で筋肉痛を散らす目的でちょっとだけ走った。20分、2.9km。