野暮用があり、ロックフェラーセンターにある銀行まで。英語が不自由なのでテクニカルな話になるとほんましんどい。そのあとCCNYにて事務手続きいくつか。学生用の管理画面がめちゃくちゃ使いづらい。ディスりまくっていたバークリーの管理画面、あれマシな部類だったのだなー。ランは見栄張って飛ばして即バテた。小僧か。25分、4km。

日本に一時帰国して12月初旬に戻ってきてからきょうまでの1か月、ぶっちゃけなんもしてない。寝て過ごす時間が多すぎてさすがに不安になってきたので、走ってみた。4.2km、30分。

子供のころから30代前半まで、自分で発達障害を決めつける程度には失くしものが多かった。たとえば運転免許は8回再発行している。財布はその倍以上落としている。切符なんて電車に乗る前に紛失するのもしばしばで、けれど30代も半ばになってようやく、モノを失くさないためのシステムを自分でオーガナイズできるようになってきて、それは財布は持たない、カードはスマホケースに入れスマホは手に持つ、鍵はダサくてもカラビナにつけてベルトループ、切符は同伴者に預かってもらう、といったどうでもいいことの集積なのだけれど、劇的に失くしものが減った。

それが、ひさしぶりに大事なものを落としてガックリきている。ペンだ。これ輪にかけてどうでもいい話だけど、「新しい文章力の教室」の表紙に描いてもらったあのペン。少しでも文房具に興味ある人ならあれがLAMYのSafariなことはひと目でわかると思うんだけど、万年筆じゃなくてローラーボール、イエローじゃなくて限定色のネオンイエローであることが自分にとっては小さなおこだわりで、2013年の限定色だったから5年とちょっと、使ったことになる。

この5年を思い返せば自分の人生にとってイベントの多いシーズンで、婚姻届も、大学の願書も、会社関係の契約書類も、出生届も、親の死亡届もこのペンで記入したのだった。同じのを買い直したい気持ちにもなったのだけれど、何か過去にしがみついているみたいで少し気が引ける。2015年のネオンライムを使わずにしまいこんでいるので、心機一転それに変えることにしようと思う。

Safariローラーボールはやたら太いのとインクがにじむので、スムースなゲルインクが使われているSarasaやシグノの替え芯に交換する人が多いけれど、私は純正の安定しない書き心地がむしろ好ましく思えて、いろいろ試した末に純正のブルーブラックを使っている。なんでも高性能ならいいってもんじゃないというのも、わかるようになったのは30代に入ってからな気がする。

 

twitterでは言及を控えているのだけれど、いままた、大学生になっている。言及を控える程度にはデリケートな話で、建て前としては自分の興味対象についてもう少し学び直したくて、ということになる。実際のところはまあなんというか、ヘマこいたからなんだけど、ルール上それを公言することはできないので、なんというか察してください、ええ。海外在住のみなさんはお察しのとおりです。

さてどこに通うことにしたかというと、私の出た音大もいちおう名門と言われるとこだったけど、NYCにはニュースクールやMSM、ジュリアードといった名門音大があって、しかしそれらはどこも私立で学費がバカ高いので今回はかんべんしてもらって、公立でポピュラー音楽の学部があって近郊で、ということでCCNYことシティカレッジを選んだ。院も選べたけど、学費が倍なので、学部にしておいた。

余談になるけどいまアメリカの私立音大の学費は1学期およそ200万が相場で、ふつうは年に2学期だから400万ということになる。90年代後半は1学期70万円くらいだったので20年で3倍弱、消費者物価指数はおよそ2倍なので高騰と言っていいだろう(20年物価の変わらない日本人から見たら狂騰だ)。もちろん奨学金が豊富に用意されているので、できる子はまるまる払うことはないけれど、それでも高所得の家庭じゃないとしんどそう。

かたやシティカレッジならトップランクではないけれど公立なので1学期65万円くらいで、市の補助が出れば半額だ。まあそれなら払ってもいいかということで、決めた。決めたのだけれどブルックリンからハーレムの先までは思ったより遠くて、転入生向けオリエンの初日だったきのう、すでに心が折れそうにはなった。あ、いちおうアメリカの大学を出ているので転入生という扱いになっている。

この転入という仕組みはアメリカのいいところで、ハードル低く利便性高く設計されていて、安くて入りやすいところからスタートして、熱意と実績でどんどんいい大学に繰り上がっていくような人はいっぱいいる。たとえば家がリッチじゃなくても、コミュニティカレッジとかの無料大学でがっつりがんばって最後の数学期だけ名門大に通い、少ない金額で名門大卒をゲットするスマートな子もいる。

ただそれは簡単じゃないね。低偏差値の大学と名門とされる大学、何が違うかといえば環境で、このばあい環境とは教科書でも設備でもなく人のことで、第一に学友、第二に教員、第三に職員が違う。どう違うかといえば意識の高さが違って、意識の低い人間に囲まれて努力と志を継続するのは、意識の高い人間に囲まれて同じことをする何倍も何十倍も、なんなら何百倍も難しい。

なんでこんな断定的に書けるかというと、これもいつか書きたいと思うのだけれど私は1学期だけ底辺大学に通ったことがあり、そこで見た底辺大学の現場にうちのめされた経験があるからだ。だから初めから名門の子と成り上がりの子がいたらおれは成り上がりの子のほうをより尊敬するし、あと意識高い子たちのことを意識高い高い〜とか揶揄してる大人はみんなくたばればいいと思う。意識は高いほうが、いいよ。

めずらしく朝もはよから立て続けに所用があって、日が暮れるころにはバッテリーが切れてしまい、子供より早くに寝てしまった。体力が異様に落ちている。なんとかしないと。

先日、やり手とされるフィナンシャルアドバイザーの人と話す機会があって、その会話の本筋ではないのだけれど、アメリカの人ってほんとアメリカのことしか気にしてないんだなー、と思うことがあった。その人は世界経済に目を配って投資顧問みたいなことをしたりしているのだけれど、でもその人が何を観察し何を話題にしているのかといったら、アメリカのことばかりなのだ。

なんだけど、実際のところその人は、この乱世(昨年9月にあった大きな潮目以降、世界経済は完全に乱世)に大きく読みを外すこともなく成績を出している。なんでなんだろ。って考えるとたぶん、米国市場にはグローバル企業がたくさん包含されているし、なによりアメリカの政治や景気が世界経済に与える影響は甚大なので、アメリカ中心に見てればおおかた事足りてしまうってことなのかもしれない。

同じことはカルチュアルな分野でも思うことがあって、ジャパンがガラパゴス化したしたっていうけど、ガラパゴス度で言ったら断然アメリカのほうがすんごい。邦画しか見ないアメリカ人、邦楽しか聞かないアメリカ人は日本の比じゃなく多いと感じる。だけども実際のところ、いまだに世界の潮流はポピュラー音楽でも映画でもアメリカ主導で推移しているので、それがガラパゴスには見えないという現実がある。

もひとつはさっきのグローバル企業の話みたいに、沿岸部中心に多民族社会なおかげで、国内コンテンツにいろんな国、いろんな民族からの影響がセットインされている、という側面もあると思う。いまさら言うまでもないけどアメリカ音楽が強靭な理由は、カリブやアイルランドや東アフリカやラテンアメリカや世界中からのエッセンスが溶け込んでいるからで、それは言ってみればカルチャーのグローバル企業ということだ。

すこし話がドリフトするけど昨年はサウスロンドンからの音源がたくさん届いた年で、また個人的にはパリやベルリンを旅して現地の音楽に触れた年でもあった。ところが文化的には好ましい要素満載のヨーロッパ大陸なのだけれど、こと音楽においては、まったくもって自分にとって面白みにかける音楽ばかりだった。なにより驚いたのは、これまで自分は黒人音楽ファンだと思っていたのだけれど、違った、ということだ。

ヨーロッパから聞こえてくる音楽も、半分以上は黒人によって鳴らされていたのだ。だけれどもアメリカの黒人音楽に顕著にみられるような重心の低さとレイドバック感覚が、皆無といっていいほどないのだった。つまりこういうことだ。私は黒人音楽ファンだと自認していたけどそれは誤解で、アメリカの一部黒人の奏でる音楽のファンなのであった。これはいまさらだけど結構自分でびっくりした。

言うまでもなくロンドンもパリもベルリンも多民族が混淆する都市である。だからグローバリズムないし混血性がアメリカ音楽の魅力の一因なのだとしたらヨーロッパ音楽もエンジョイできるはずだと思っていた。でも現実には違った。この事実に対する明解な回答はまだ自分では持ち得ていないのだけれど、なんだろね、混血のエレメントが違う、って話でもないような気がする。アメリカ黒人音楽のローカル性、特殊性というのを今年は考えていきたいと思っている。

きのうの続きだけど、もうひとつ考えたことは、2010年代を通してイノベイティブだったジャズシーンが停滞してきたのを認めざるを得ないな、ということ。2010年代前半には新鮮さと驚きをもって耳に飛び込んできた音像も、やっぱもはや普通というかバナルに聞こえてしまって(みなさんノームコアに10年先駆けてバナルというムーブメントがあったの覚えてますか)、それではもうあんまり興奮できないのだ、ということを直視させられることがここ半年くらい、多い。

その音像ってなんだったんだよ、という問いに対する答えを、具体的なディテイルぜんぶすっ飛ばしてまとめると、「楽器のできない人間が作った音楽を、楽器の弾ける人間が真似して、演奏に新鮮味を吹き込む」ということだった、いまとなってはそう総括できると思う。時間のスケールを少し大きくとってみると、音楽って(声帯を含め)楽器のできる人間が奏でるものだったわけです、ずっと。雑な話だが。

それが70年代後半から電子楽器による自動演奏やサンプリング、日本語でいうと打ち込みといわれる環境が登場して、楽器の素養のない人間が音楽を奏でられるようになった。それは最初こそ器楽の代用品であったものの、そこには楽器の修練を経た人間には出しえないサウンドが芽吹いて、特有な魅力を獲得していったわけです。それをこんどは楽器のできる側が取り入れて、その相互作用のなかで2010年代にジャズシーンで新しい音像がエクスプロージョンしたと、それが僕の雑な歴史観なのですが。

10年代もだいぶ終わりかけたいま、それがもうほんとに標準装備になっちゃって、それで最初の話に戻るけど、きのうの晩に、頂上クラスの人たちが奏でる音楽を浴びていて、うまいしすごいしかっこいいんだけど、ただ新鮮さはもうなくなっちゃったな、と、そういう感慨を抱いていました。つまり「楽器やらない人の奏でる音楽」からのおいしい影響をいったん食べ尽くしてしまった、フィードバックがいったん燃料切れを起こしたのだろう。

それにはもひとつ社会環境の変化追随もあって、去年おととしくらいからニューヨークタイムズの音楽欄もNPRミュージックも(情けないのだが定期的にチェックしている英語の音楽メディアがこれらとあとreviveしかない。reviveはムーブメントの震源地と言ってもいい存在なのにここのところ更新が極端に減ってしまって、すーごく残念)ジャズの新しい潮流、みたいな記事が増えてきていて、JTNCを読んでる日本人からすると「いまごろかよ!」って思うかもしれないけれど、まあでもそんなもんです。

そんで日本には江戸元禄の昔から「カルチュラルなムーブメントはSPA!で紹介されたら死、ノンカルチャーから発生したムーブメントはSTUDIO VOICEに載ったら死」という金言があるけれど、ようやっとメジャーなメディアにキャッチアップされ、ジャーナリストが単行本にまとめて出すようになった昨年が、ひとつの区切りだったのかな、という印象は拭えないです。だから2018年は豊かな年であったけれども同時に新鮮味はいったん消えた年として自分のなかでは記憶されるだろうし、また次のムーブメントの胎動でもあるんだろうけど、とにかくそういうことを、トッププレイヤーたちの演奏を聴きながら思っていました。

かんたんに興奮したり飽きたり、リスナーって勝手なもんだな。午後にチャイナタウンにある保険会社の窓口まで出かけて、データの不整合とオンラインアカウントのエラーを直してもらう。全員中国人スタッフでマジかって思ったけど、窓口の人はブルックリン支店の人の1000倍くらい理解力が高くて優秀で、その場で全部解決はしなかったけど、とにかく話が通じるだけでたいへんな安心感があった。アジア人優秀。という逆レイシズムがどうしても作動してしまうのを止められなかった。

Nubluの月曜ジャムに出かけたのだけれど、モノネオンがゲストの特別回だったせいでバケモノ揃いになってしまい、一瞬も弾けるチャンスのないままノコノコ帰ってきた。普段会うレックスとかアーヴィンとかも出番が回ってこなくて、みんなで楽器をケースにしまいながら苦笑いでショットをあける、みたいな。でも仕方ない。

モノネオンがスパットシーライト連れてきた上に、テレンス・ブランチャードがDJジンヤード(めっちゃベースうまい)とか連れて飛び入りしてきて、そんでジェイムズ・フランシーズがローズ弾いて、あとオラオラおじさんモーリス・ブラウンとか。隙間ないわ。ギタリストだけ化け物がいなくて、ボストンからの友人ジェフアンディがよく踏ん張っていた。

このNYに来てからの1年、いろんなところのジャムに顔を出して、テイストの合うところには通って、ミュージシャンの友達もいっぱいできたし、日本でインタビューを読んでいたようなミュージシャンとも演奏できて、みんな褒めてくれるし、自分も少しはレベルアップしてるような気もするけど、その「何かしてる」感は甘い毒なんじゃないかな、いまさらだけどそう思ったな。

アメリカに来てから知り合った100人くらいのミュージシャン、みんなギャラもらう程度には上手いのよ全員、でもソロミュージシャンからフックアップされたのは3年の間で2人か3人で、じゃあ自分がその初期消費税くらいに入れるかっていったら、無理だと思う。あまりにコンペティティブで、選びたい放題の買い手市場で、だったら飛び抜けて上手い子から売れていくのが当然だもん。

なんだろ、たとえばバチェラーに出てる女の子みんな美人でいい子じゃん、あんなかで自分がガラスの靴履けんの?って話ですわ。いまさらすぎるけど! 少なくともジャムに通ってるうちに誰かアーティストの目に止まってツアーミュージシャンになるなんてシンデレラストーリーは、いまの暮らし続けてても自分には起きない。それがよくよくわかった。

だからこれまでの延長線上に自分がなりたい感じのモデルはないことがはっきりした1年だったので、日々やることをすっかり変えないといけない。元旦に書いたのはそういうことです。でもだからといって何したらいいのかは、よく考えないと。