半年ぶり! 生きてまーす。8月の終わりから9月の頭にかけて初めてヨーロッパを旅してきまして、月並みだけどすごい楽しかった。

コペンハーゲン、ベルリン、パリという謎の3都市周遊でしたが、その時期にマイルで取れるNYからの直行便がコペンハーゲン行きしか残ってなくて、ベルリンは旧い友達に会いに行って、パリはやっぱりこの時期にマイルで取れるヨーロッパからNYへの直行便がパリ発しか残ってなかったという、ほぼマイルの奴隷という感じの旅程でした。

いずれの都市もそれぞれ良くって、あれー旅行ってこんな楽しかったっけってくらい楽しかったのだけれど、それにしても決定打は最後のパリだった。どんだけ自分がドン臭いかって話なんだけど、パリ最高だったわー。うっとりしてわけわかんなくなっていた。イヤミはパリにかぶれて帰ってきてああいう言動をするようになったわけだけど、誰が責められよう。

そもそもなんでこの時期に旅行したかっていうと、子供が2歳になると大人と同じく1席購入しなければならなくなるので、その前にヨーロッパでも行っとくか。っていうこれまた貧乏くさい理由なのだった。ほんとは旅行記みたいなの書いてみたかったけど、どうにも余裕なくて書けなかった。

なんでかっていうとその旅行から帰ってきた頃に、自分の滞在許可にまつわる割とクリティカルな問題が発覚して、先週までその対処に延々追われていたのだった。この件残念ながら書ける話がまったくないです。直接ならいくらでも話す。そしてそのせいで一時帰国できるかどうかがずっと宙ぶらりんのまま過ごし、けっきょく予定の2週間前になってようやく行けそうな算段がついたの。正確には帰りの入国できそうな算段が。

なので11月の14日から28日まで日本におります。ほんとはライブのブッキングなど入れたいと思っていたのだけれど、出国できるか不透明すぎて何も入れられなかった。ちょっとまた近々音楽活動のために帰国したいなーとも考えてます。そんなわけで今回はメインはあれっすよ、歯医者と人間ドックと大腸カメラっていう。中年!

あとそうだ、10月の終わりに引っ越したんだった。これもすごい慌ててやって、ビザの件と合わせ技でこの時期すごいしんどかった記憶がある。ただこっちは完全に自分のせいで、前の家は1年契約で1ヶ月フリーレントという契約だったんだけど、それを勝手に13ヶ月契約(1年は払ってプラス1ヶ月タダ)って思い込んでたんだよね。そしたら12ヶ月契約だった。

管理会社から更新する?ってメールが来て、ずいぶん早いなーって放置していたら、もう契約更新のタイミングだったという。間抜けな話です。それで住んでいたウィリアムズバーグは生命線であるLトレインが来年春から最低1年運休するっていう問題を抱えているので、しかもそのくせして更新のタイミングで家賃を上げてきやがったので、出ることにしたのだった。新居はプロスペクトハイツです。また開拓たのしみです。

ジャリが死んでもう2ヶ月が経とうとしていて、オーダーしていた骨壷も届いて、遺灰を骨壷に移そうと思って缶を開けたら中からジップロックが出てきて奥さんと泣き笑いしたり、早朝だけ犬に開放されてる公園を通って帰宅するのもむしろ楽しくて、あーそろそろもう大丈夫かなーって思ってたんだけど、昨日ボストンで通っていた病院から「ジャリくんハッピーバースデー!」みたいなダイレクトメールが届き、しかもなんだか同じ毛色の小型犬の写真が添えられていて(たぶんあれ顧客データから自動で拾ってきたんだと思う)、開けた瞬間に死んだ笑。息が吸えなくなっちゃうんだよね。あと肋間神経痛みたいな痛みが、気持ち的な問題ではなくフィジカルに胸のあたりに発生して、座り込んでしもうた。まだまだじゃのう。

red bull artが主催したラメルジーのエキシビジョンすごくよかった。

こないだbigyukiと半日つるんで遊んでたら翌日疲労で動けなくなってしまい、運動不足を強く感じた。ジョギングすっか。

実は、というほどのことでもないのだけれど、アメリカで暮らし続けているのには音楽のほかにもいくつか理由があって、そのひとつが長年患っているアトピーの治療です。先に結論を書くと、確実に、しかも既存のどの治療とも次元の違う効果が出ています。ただし後述しますがリスキーだなーとも思っています。ここに至るまで紆余曲折あったのでぐだぐだ書きます。

その薬、サノフィ社のデュピルマブをFDAがブレイクスルーセラピーに指定をしたのは2016年9月のことで、そのニュースをボストンで見て、デュピクセント(こっちが商品名)の存在を知ったのだった。調べたらすでに日本を含む世界中で何年も前から治験が始まっていたので、自分はまさに情弱ってことなんだけど、とにかく画期的なアトピー治療薬が開発されていて、FDAが承認を早めるための優先審査を決めたという話だった。

あわてて検索して機序を理解して、ひさしぶりに積極的な治療を受けてみようという気になったのだけれど、ほんとに審査が優先されたようでたった半年後の2017年の3月には処方が始まった。ただ現場投入のニュースでは効き目以上に薬価のことが話題になっていて、具体的には4週間ぶんの注射2本で2840ドル前後。年間37000ドルつまり400万円てーことは、10年で4000万、ジェネリックが出なかったら余命40年として1億6000万。さすがにそれは。いくらなんでも。

とビビっていたところ、保険が適用されて1回30ドルの支払いでしたという人がネットにちらほら現れて、しかも保険の実費分は製薬会社が補助する制度まで登場したので、マジかよ、と思って5月に入ってから大学病院の予約を取ろうとした。ところがアメリカの病院あるあるで最短の予約が3ヶ月先、8月には大学の卒業が見えていてニューヨークに引越しする決心も固まっていたので、8月からボストンで治療を始めてもしゃあないわってんで見送ったのだった。

で10月に引っ越してバタバタしたのち12月にマウントサイナイの予約を取り、ようやく1月にアレルギー科を受診した。デュピクセントに興味あるんだけどって話をして、病院側はあからさまに売りたがってるので二つ返事でさっそく準備が始まったんだけど、おれは非特定IgEの値が5万とか3万とか特別高いので(普通の人は数十〜数百)、まず遺伝子に異常がないか検査をすることになって、半月待って異常なしってことで一安心。

ようやく保険の申請をしたら、今度は保険会社から、ステロイドやプロトピックみたいな既存療法で効果がないことを証明しないと必然性を認めたらんで、つまり保険適用にはしたらへんで、という返事が届いた。さすがに高額医療なのでこのぐらいのハードルはこちらも覚悟しており、医者にプロトピックを処方してもらって90日の経過観察。3ヶ月後に再受診することに。

待機期間かー。と思ってぼんやり暮らしていたところ、1ヶ月ちょい経ったころにExpress Scritpsというまったく聞いたことない会社から封書が届いて、これが紆余曲折でいちばんハテナマークに襲われたできごとなんだけど、あなたの保険申請は諸状況に鑑みて承認されることになった。つきましては当社指定の薬局に連絡を取れ。と書いてある。テキサスかどっかの薬局の連絡先が添えてある。怪しい。

なんでおれの処方箋が知らん会社に流れてるのかもわかんないし、病院と患者と保険会社以外のプレイヤーが保険適応に口を出してくるのも意味がわからなかった。調べたらExpress ScriptsはPharmacy Benefit Managerという業種の最大手で、このPBMという日本には存在しない業種については各自ググってもらいたいのだが、簡単に言うと保険会社と製薬会社の間に立って値下げ交渉をしてくれる会社なのだった。理解するのに2日かかった。

というわけでどうやら保険適用になったらしいので、半信半疑でAccredoという薬局に電話してデュピクセントを注文、5日後にほんとにデュピクセントがクール宅急便で届いた。アメリカに来てから初めてクール便というのを見た。あるんじゃん。信用できないけど笑。これがたしか3月の15日くらいかな。けっきょく現場投入のニュースからちょうど1年経過してようやく実物とご対面とあいなったわけだ。

初回のみ自己注射のオリエンテーションを受けなければならないので、マウントサイナイの予約を取って、医者の予約を取るとまた数ヶ月先なので看護婦だけの特別な予約にしてもらって、3月の23日にとうとう注射をキメたのだった。初回のみ2本ぶっこむ。自費なら30万円ぶんだ。筋肉注射より浅い皮下注射という方式が指定されているため、自分で皮膚をつまんで、つまんだところに45度の角度で針を刺す。

上手上手とおだてられながら両腿にバスンバスンと射ってやった。けっこう痛い。あと薬液を流し込むのにけっこう力がいるのにびっくりした。日本語で読める数少ないデュピクセント体験記のひとつがLAに住むケンさんという方のブログなんだけど、そこには打ったその日から効き目が自覚できたと書かれていたので期待したものの、何も起きなかった。すこし頭が重い感じがするくらい。翌日も翌々日もほとんど変化がない。

4割の人に顕著な効果、というのが触れ込みだったので、あー効かないほうの人間だったかー。はい撤収撤収。と悲観的な気持ちで数日過ごしてみたところ、5日目くらいだろうか、異変に気が付いた。強烈なかゆみも全身の炎症も変わらないのだが、象の皮膚のように硬く粗くなっている皮膚が、腕や腿の一部分でわずかに弾力性を取り戻している気がする。

最初は半信半疑だったのだが、次の注射を打つ2週間後には、確実に象皮状の面積が減ってきているのがわかった。これは新しい。新しいというのは、ステロイドともタクロリムスとも違う不思議な効き方をするな、ということだ。ほんとに徐々に、しかも一進一退なのだが、しかし確実に皮膚が弾力性を取り戻しつつあって、そしてまだごく一部なのだがモザイク状に健康な皮膚といって差し支えない部位が出現しつつある。

かゆみも炎症もまだまだ強い。しかし何十年かぶりに「よくなる」というプロセスを体験していて、正直これはすごいことだと思う。私のような40年を超える病歴の重度患者にとって、人生をまるまる覆っていた病気が快方に向かっているというだけで、なんつうかな、正直に書くが希死念慮がほぼ消失しつつある。FDAが言った画期的ってこういうことかー。病気とそれ以上に薬に苦しめられてきた身にとって、こんなはっきりと医療の恩恵に浴する日がくるとは考えてもみなかったことだ。

ただ、もちろん不安もまだまだ大きい。いちばんは長期的な副作用がまったく明らかになっていないことで、いちおうステロイドやタクロリムスより標的が狭いので副作用が小さいことはわかっているのだが、よく効く薬ほど重篤な副作用を抱えているのは世の決まりであって、ことに全身の免疫系にがつんと手を突っ込む薬である。たとえば未知の免疫撹乱を引き起こすとか、ガンのリスクが上がるとか、それくらいのことは起きてもまったく不思議ではない。

またあくまで免疫系の阻害薬であってアレルギーの発生自体を抑える作用はないので、つまり病気が治るということではなく言ってみれば対処療法である。だからやめることができない。きのうかおとついの読売新聞では薬を中断しても効果が続く可能性がある、と医師がコメントしているけど、アメリカではむしろ、薬を中断して症状がぶり返したら、再度投与したときの効果が弱まる可能性が指摘されている。

それでも。それでもこれは十二分に画期的な薬だと思うし、まあ発ガン率が上がるくらいの副作用だったら自分は使い続けると思う。今年の4月に日本でも処方が始まったみたいだけれど、アメリカよりたいへんに狭隘なガイドラインが発表になった。ひとつにはステロイドとの併用が基本路線であること、また重度の患者のみが処方対象で、症状が軽くなったら従来の治療に戻りなさいと書かれている。軽いアトピーなら甘受しろってことかな。すげえな。

背景には2週間ぶんで8万1640円、年間212万という高額な薬価があって、一昨年おおいに話題となったニボルマブと同じく、じゃんじゃん使われてしまうと保険財源への負担が大きすぎる、という問題があるのだろう。それと厚労省アメリカの半値近くまで値切ったので、サノフィ側が日本への出荷量を絞りたがっている可能性も考えられる。いずれにせよ患者不在のあまりに愚かしいガイドラインを出したものだと思う。最初の話に戻るけど、そういうわけで当面日本には戻れないのですわ。ここでがんばるしかない。

ジャリがいなくなってもう17日が経ったわけだけれども、なるべく普通に暮らそうと努力しています。ほんとはもっともっと向き合っていろんなことを思い出したり言葉にしたり、ずーっと写真を見つめたりしてもいいのだろうなあとは思うのですが、実際のところを言うと、写真はもちろんジャリという音の響きや、こないだ書いた自分の日記もそうだけど、とにかくその不在を思い出すことに触れると単純に生理的に胸がぎゅーと締め付けられて動けなくなってしまうのでした。

なので、あ、これアカンやつだ、と思って、いまはなるべくその不在に直面しないようにして過ごしています。ジャリ不誠実ですまんけどしばらくはやりすごさせて。痛みを散らすようにいまは別のこととかやってなんとなくぼんやり暮らして、悲しみのインパクトが少しマイルドになってから、ちゃんと考えたり申し訳なくなったり懐かしんだりしたいと思います。我が身可愛さで不義理を働いてたいへんにセルフィッシュで申し訳ないけど、この肋間神経痛みたいなのしゃれならんのだわ。

先週、獣医から電話があって、遺灰が届いたから取りに来いっつうんで奥さんとのこのこ行ってきた。なんでもない白い紙袋を渡されて、開けてみたら花柄の紅茶缶みたいのにちんまり収められていて、それを間抜けな感じでぶら下げながら歩いていたら、そこらへんのファンシーなティーハウスで買い物した道すがらみたいになってしまって苦笑した。火葬サービスのホームページを読んでいて気づいたのだが、遺骨、というのはどうやら欧米にはない。人も動物も、コナコナの遺灰である。

あの日本の、焼肉感や黒焦げ感は残さず、かといって粉になるほどはガンガン焚かず、拾える程度の白骨として焼き上げる火葬というのは、あれ火加減と焼き時間とになかなかの技術が必要とされるらしい。でもあの白骨じゃサラサラとは散骨できないから、散骨っていうのは遺灰にされちゃう文化圏から発祥したもんなんじゃないかな。おれもコナコナのほうが、それで砂のように風に消えてしまったほうがなんかさっぱりしてていいのかも。

骨壷はウェブサイトから買ってくれとパンフレットが入っている。アクセスしてみると何十種類の骨壷カタログで、とてもじゃないが「このデザインがいいかしら」「名入れするならこのフォントね」なんて気持ちになれなくて即閉じた。どうでもいい死のイメージはいくらでも飴玉のようにしゃぶっていられるのだが、いざ固有の死について向き合おうとすると具合が悪くなってしまうのだから、お笑いぐさである。

去る3月31日、長きにわたって支え続けてくれた相棒、ジャリが永眠しました。口腔ガンの進行により、安楽死を選びました。2001年の5月25日生まれで、うちに来たのが7月だったから、16年と半年ちょっとを一緒に過ごしたことになります。

過ごした年月の長さもありますし、ペットという関係性もあり、親や近しい人を亡くしたときとは、ちょっと別種の感慨に包まれています。やっぱり親といっても自分じゃない他人だから、その人がその人の人生を生きて死んだんだなあという、当たり前のかなしみを抱くわけだけど、どうしてもペットには自分に付随する存在というか、自分の部分をなしていたような錯覚があったようで、たとえるなら目が覚めたら肘から先を失っていたのを直視したような、マジか、ないんだ、ないのかーっていう胸の痛みに包まれ、まだそのただ中にいます。

安楽死ですから、言葉を慎まなければ私が一存で殺したということです。文字通りこの手の中で。熟慮する時間があった末のことなので殺すことに迷いはほぼ残っていなかったのですが、それでも自分で自分の腕に斧を打ち下ろしたような、取り返しのつかないことをした感覚は拭えません。

3月14日に受診した際、鎮痛剤のレベルが上がり、はっきりと安楽死をすすめられました。具体的には「もしあなたが今日安楽死を選んだとして、私は医者として早すぎるとは思いません」と。ただジャリはとにかく食い意地が張った犬で、食べることが生きる歓びと直結していたので、自力で食べられている間は見守りたい、と告げて合意に至りました。

同時に、起こりうるリスクについても説明を受けました。ひとつには腫瘍がこのまま発達し続けた場合、気道を塞いで窒息することがあること。これは苦しい死に方です。またガンが放出する物質が血管を塞いだり多臓器不全を起こしてショック的に死ぬことがあると。そして腫瘍が眼球を圧迫していたため、このまま進行すると眼球が飛び出てしまう可能性もありました。これがいちばん深刻で、実際最期の数日間は目が閉じられないまでに眼圧が上がってしまいました。

無事というのもだいぶおかしな話だけれど結局はそのいずれも起きることなく、29日の朝に少し食べたのを最後に、自力で食事が取れない状態になりました。口の中が発達し続けた腫瘍でいっぱいになり、何も喉を通らなくなったのです。痛み止めを飲むにも口を開くと激痛が走るようで、この先は腹減るわ痛いわ苦しいわだけになってしまうことが明らかでした。

ちょうど翌30日に診察が入っていたので、その際に「以前話したとおり、自力で食べられなくなる日が来ました」と告げて、少し急すぎるようにも思えたのですが、引き延ばすのは酷なこともわかっていたので、翌日に安楽死の予約を取りました。その晩は眠れないまま、ジャリの横で過ごしました。正直な感慨を述べますが、こんなにしんどいことがあるもんかねえ。

昨日の小雨が打って変わって、31日は雲ひとつなく晴れて気温も昼には12度まで上がり、私は「今日は殺すのにもってこいの日」ってやつだな、と少し皮肉めいたことを考えたりもしました(90年代にそんな本が流行ったのです)。好きだった芝生を歩かせてやりたいと思い、家族でマッカレンパークに繰り出しました。もう家を出た時点で涙が抑えられなくなっているので奥さんも私もサングラスです。最初移動用のバッグに入れていたのですが、少しでも外を見させてあげたいと思って、腕に抱いたまま街を散歩しました。

寝込み始めてから次第に衰えた足腰に、強い痛み止めの副作用も加わり、立っているだけでもよろけてしまうほどなのですが、それでも芝生の踏み心地を少しは味わってもらい、また抱きかかえながら、死ぬのは自分でもないくせに、死刑台に向かう死刑囚のような気持ちで、やたら遠回りして獣医に向かいます。うちなりの「長い長いさんぽ」でした。

いつもバカやかましいスタッフが、神妙な顔をして迎えてくれました。膝に載せたまま鎮静のための1本目の注射を打つと、5分もかからず意識が遠のいていきます。心停止をもたらす2本目の注射が打たれると、30秒ほどで呼吸が止まり、私の手の中で心臓が止まるのがわかりました。苦しい表情を見せることもなく、眼に光がなくなり、生きていたものが死体になっていきました。

ジャリ。思えば最後の排尿までよろけながら自分で済ませ、少しも面倒にはなるまいと気高いまま死を迎えました。ただ助けられ、与えられるだけの年月でした。こんなにギブアンドテイクのアンバランスな関係もこの世にないと思います。どうか安らかに。いま居間でこれをしたためていますが、もう寝息も足音も聞こえてはきません。こんな悲しいことがあるもんかね。

しっかり者で音に聞くうちの奥さんが、生まれて初めてスマホを落としたと慌てている。紛失モードにして私の番号を表示させてみたが、日本じゃあるまいし、まあ戻っては来まい。早々にあきらめてカードを止めたのだが、翌朝電話がかかってきて、iPhoneを拾ったので取りに来いと言う。しかも男は「スコシ日本語シャベレマス」と言う。

海外での「日本語シャベレマス」は地雷原でもあるので身構えたが、その取りに来いという場所を聞くと、スケートショップだと言うのですっかり拍子抜けしてしまった。スケーターかあ。なら、おかしなことにはなるまいよ。奥さんはノコノコ出かけていって親父狩りにでも遭わないかと心配しているのだが、スケーターだし、そんな悪いエリアでもないし、午前中だし、まったく心配ない。と言い残して家を出た。当然、Vansのオールドスクールを履いて。

しかして着いてみれば、そこはショップ併設の屋内型スケートスクールで、店内はキッズまみれ。電話をくれたケヴィンさんはこのスクールの運営者で奥さんが日本人だという。聞けば、コーリーというインストラクターの彼女が道端に打ち棄てられていたiPhoneを拾って、スクリーンに日本語が表示されていたのでケヴィンのところに持って来たのだった。

もうひとつには表示されていた私の番号が857で始まり、これはボストンの市外局番なのだが、ケヴィンとコーリーはボストン出身なのでホーミーじゃんってことでなおさら連絡しなきゃってことになったらしい。「ところで俺もスケートしてたんだ、もう何年もやってないけど」と言うと、「入ってきたとき雰囲気でわかったよ。Vans履いてるし」ダヨネー。

しかも話せばコーリーはトラックメイカーでDJもしているという。なんだか色んなエレメントが噛み合った不思議な日になった。そういうわけで水曜の晩、スケートスクールに通っている。ロベルトという46歳の空手家がクラスメイトだ。まだまったく取り戻せないし膝も痛むけど、まあいい、ゆっくりやろう。ほんとは海にも入りたいけど、それにはちゃんとトレーニングしないとだな。

線維肉腫という種類は、軟部組織のガンのなかでも比較的悪性度が高く、抗がん剤は効きづらい。早期なら手術が有効だが、その場合腫瘍から2、3cmの余裕をもって切除することが望ましい。ジャリの場合それは、下アゴをまるごと切除するということだ。そこまでしても再発率は高く、つまりダメージの割に得られる効果が乏しいので、いわゆるQOLの見地から判断を下すことになる。放射線は腫瘍を小さくし余命を伸ばすことには寄与するが、同時に強い副作用が生じるので、やはり難しい判断を迫られることになる。

このあとどうなるかというと、ひとつには腫瘍が大きくなって口が開かなくなり、自分で食事をとることができなくなって、衰弱する。もしくはガン細胞から血中に放出されるさまざまな毒性の物質によって衰弱し、死に至る。もしくは肺に転移して、呼吸不全で死ぬ。そうは書いてあるのだが、めしはガツガツ食ってるしマンションの廊下を駆け抜けたりしてるので、やっぱり現実みがない。さすがに染色された組織の顕微鏡写真を眺めていると、理性では認めざるをえないものの、心のどこかでまだ歯槽膿漏なんじゃないかと疑ってすらいる。

いずれにせよセカンドオピニオンがほしいところなので、心臓エコーの検査をしてくれた心臓外科医に連絡したところ、ガン専門医の予約は最短で21日になるという。ずいぶん先だが、まあ仕方ない。お願いしてしばらくしたら、折り返しがきて、11日にガンに明るい外科医の予約が取れるので、まず外科医に相談して手術の可能性を探ったらどうか、との進言。従うことにする。口を開くと痛むようで食事のスピードが遅くなってきた。鎮痛剤を投与する。

深夜になって日本が昼になったのを待って、かかりつけだった駒場のキャフェリエ先生にも電話してみる。先生の所見も検索して得られた知識のとおりだったのだが、ひとつ新しい見地として教えてもらえたのは、もし手術が体力的に可能なら、軟部組織だけでも切除することで口を開けるのが楽になり、自分で食事を取れる期間を延ばすことはできるかもしれない、ということ。ジャリは食べることがとにかく最大のよろこびなので、もしそんなことが可能ならいくらかQOLの向上にはなるのではないかとは思えた。

そんなことを考えながら金土とすっかり抑鬱状態で過ごし、奥さんと話していても自分が何をしゃべってるのかよくわからない程度には取り乱していた。亡くなった母が認知症になったとき、電話帳の親戚知人に片っ端から電話をかけるという迷惑行為を繰り返してたいへん難儀したのだが、気づいたら自分がLINEやメッセンジャーに登録してある犬猫の飼い主に音声通話をかけまくっていて、ああこれが血というやつか、と思ったりもした。ご迷惑をおかけしました。

ようやく11日に外科医の診察。所見は近所の先生と同じく、積極的な治療は望めないので、緩和ケアしかできることはないだろう、とのこと。もし希望するならCTスキャンをして、腫瘍の広がりを詳細に確かめたのち、何らかの処置の可能性を探ることはできるというので、これはほとんど飼い主のエゴなのだが、翌日にCTスキャンの予約を入れた。スキャンの結果はすぐ上がってきて、ガンはやはり骨部とリンパ節に転移しており、また腫瘍が顎関節の軟骨に広がっているので口を開くために切除する手術も不可能、とのことだった。自分としてもX線の図像で見せられて、ようやく現実を受け止めることができたように思う。

14日、鎮痛剤の追加をもらいに近所の獣医へ。体重を計ると、ここ数日のごちそう続きで600gも増えていて笑えた。いまの鎮痛剤が効かなくなったときはさらに強いものに切り替えることになるが、そうなると意識も朦朧としてしまう、とのこと。食事を取ることができなくなって衰弱したり、のたうちまわるほどの痛みに襲われた場合、アメリカでは安楽死を選ぶ飼い主も多いので、それも心の中に留め置いておいてほしい、とも。院長先生はジャリの毛並みと筋肉量をほめ、あなたが飼い主でよかったと思いますよ、と言ってくれた。苦い作り笑いくらいしか出てこなかった。